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知事発言集・山口県立大学公開講座「地域学」・講義録

ページ番号:0011225 更新日:2010年7月1日更新

日時 平成22年7月1日(木曜日)
12時50分~14時20分
場所 山口県立大学4号館D15教室

講演風景
地方の自立と県民(学生)に期待すること

講義録目次

はじめに

 私は、1996年(平成8年)8月の知事選挙で初当選しました。
 当時、名字が「二井」では選挙向きではない、という話もあったようですが、一昨年8月の選挙で、四選を果たすことができました。知事の任期は一期4年ですから、今14年目です。この期で総仕上げを果たしたいと考えています。
 さて、今日は一連の「地域学」の最終講義とお聞きしていますが、私からは、「地方の自立と県民(学生)に期待すること」というタイトルで、私の県づくりの考え方についてお話をさせていただきます。

中央集権から地域主権へ

 昨年9月に民主党を中心とする政権が誕生し、政策も、子ども手当や農家の戸別所得補償、高速道路の無料化というような、家計への直接支援等に大きく舵を切ることとされましたが、このことによって、どのような国家を目指すのか、必ずしも明確ではありません。
 したがって、今回就任された菅首相は、その所信表明演説の中で、今後順次ビジョンを提案するとされましたが、そのような中で、新政権が唯一明確に示してきたのが「地域主権国家」を目指すということです。
 我が国は、明治以来、中央集権システムのもとで国づくりを進めてきました。国に権限や財源が集中する「中央集権システム」は、人材や資金、資源を首都東京に集中させ、効率的な運用を行うことができることから、「先進諸国に追いつけ、追い越せ」という、経済的な豊かさを追求する時代には、よくその機能を果たし、高度経済成長に大きく寄与してきました。
 しかし、今、住民の価値観が多様化する中、中央集権的システムが制度疲労を起こし、中央集権的システムによる画一的な対応などでは、住民ニーズにきめ細かく対応していくことが困難となっています。
 また、国の仕事は、県や市町村を通じて行われることが多く、いわゆる業界団体等への対応は別にして、一般国民との接点が少ないことから、「霞ヶ関の論理」とか「永田町の論理」という言葉で言われるように、国民の意思とは遊離した出来事や事件が多く起こるようになりました。
 一方、グローバル化の進展により、国が国際的な視野で取り組むべき分野が、外交・防衛にしても、経済対策にしても、益々拡大してきています。
 このような状況の中で、我々地方行政に携わる者は、国の役割は、外交・防衛や、社会保障、経済対策、国家的プロジェクトなどに限定し、その他はすべて地方に任せるべきであると主張し、特に1990年代以降、それを「地方分権」という言い方で、国に積極的に働きかけてきました。
 新政権も、我々と同様の方向を目指すこととされ、それを「地域主権国家」を目指すとされました。
 それでは、地方分権と地域主権はどこが違うのでしょうか。私は、地方分権は、現在国が持っている権限等を地方へ移譲してあげますという、「上から目線」的なイメージが強いのに対し、地域主権は、後ほど述べる「近接と補完の原理」に基づき国と地方の役割を明確にした上で、国家構造そのものをゼロベースで見直すという「大改革」的なイメージであると思っています。
 ただ、このように「地方分権」と「地域主権」とではイメージは異なるにしても、我々が求めてきた地方の最終的な姿は、先ほど申し上げたように新政権も同様です。したがって、以下「地域主権」に言い方を統一させていただきます。
 なお、皆さんは、「国民が主権」ではないかと疑問をもたれると思いますが、地域主権とは、中央集権との関係で、地域が自らの頭を持ち、自らの考えで、自主的・主体的に地域づくりができるようにするという意味で言っており、国民主権と対立する概念ではないということを申し上げておきます。

地域主権改革

 さて、私は、1996年(平成8年)に知事に就任して以来、21世紀には必ず「地域主権型社会」が到来すると考え、大きく2つの視点から県政を推進してきました。

制度改革

近接と補完の原理

地域主権改革の図

 一つは制度改革であり、地域主権に向けての制度改革は「近接と補完の原理」に基づき行われるべきであるということです。
 この原理は、この画面を見ていただければわかりますように、まず、住民ができることはできるだけ住民が行い(後ほど述べる「自助・共助」)、どうしてもできない政治行政(後ほど述べる「公助」)を、住民に最も身近な市町村で行い、市町村ではできない広域的な分野は、都道府県で行い、そして、どうしても国でなければできない分野のみ国が行うというものです。
 このような視点で、現在、国において、「地域主権改革」の具体化に向けた作業が進められています。
 ただ、地域主権改革を進める第一歩となる法案である、地方に関わりのある重要課題を論議する「国と地方の協議の場」を法制化するための法案や、国が定める基準を地方が独自に定めることができるようにする、いわゆる「義務付け・枠付け」の見直し法案など、本来ならば、6月に閉会した通常国会で可決されるはずのものが、継続審議となってしまいました。
 また、6月22日に閣議決定された「地域主権戦略大綱」も、理念先行型で、十分に地方の意見を反映されたものにはなっていません。
 地域主権の制度改革は、権限と財源の地方への移譲を含めて、国の形を大きく変える大改革であるだけに、今後、国の各省庁の抵抗は益々大きくなり、その道のりは極めて険しいと思います。また、「地域主権国家を目指す」とされた民主党政権の本気度を問うリトマス試験紙であると思います。
 どうか皆さんには、この改革が、単なる「国」と「地方」の役人や政治家の争いではなく、政治行政を住民の身近なところに引き戻せるかどうかという生活者の視点に立った戦いであることを十分認識していただき、今後の成り行きを注視し、ぜひ応援していただきますよう、お願いします。

市町村合併

 また、地域主権を進めていくためには、近接と補完の原理に沿って、住民に最も身近な市町村の体力、知力、別の言葉で言えば、地域主権の受け皿になれる力をつけること、すなわち、市町村の行財政基盤を強化し、政策・行政能力を高めていくことが必要です。そのための最も有効な手段が市町村合併です。
 山口県では、市町村合併へ積極的に取り組んできた結果、2003年(平成15年)3月末に56あった市町村が、現在19市町となっています。
 県としては、さらに合併を進め、現在の19市町を9市とする構想を進めています。
 なお、地域主権の取組が本格化し、住民に最も身近な基礎自治体である市町村の機能が強化されていくと、県の役割や枠組みも見直すことが必要になり、今後、道州制の議論がこれまで以上に活発化してくると思います。
 したがって、私は、県政運営については、当面、将来の道州制も視野に入れながら、「県という枠組みがなくなり、道州がどのような区割りになったとしても、今の山口県という地域において、市や町が将来にわたってがんばっていける、そういう地域にする」ため、可能な限り、市町への権限移譲を進め、また、地域の自立性を高めていく努力を重ねていきたいと考えています。

意識改革~依存から自立へ~

 地域主権を進めるに当たってのもう一つの視点は、我々自身の意識改革です。
 これまで、中央集権という環境の中で、地方自治体は、何かあれば、県は国に、市町村は県や国に、住民は、国や県や市町村に、というように依存してきました。極端に言えば、実現しなければ人のせいにする、そういう無責任な依存体質にあったのではないかと思います。
 地域主権とは、「地域のことは地域自らが責任をもってやる」ということですから、地域の体制を「依存型」から「自立型」の体制に変換するということです。単に行政だけでなく、そこに住んでいる住民の皆さんをはじめ、企業や団体が、「自分でできることは自分でする」と、「行政依存」から「自立」に向けて意識を変えていくことが重要になってきます。
 そこで、今日は、主に「意識改革」という視点から、以下話を進めさせていただきます。

自助・共助・公助

 その意識改革のキーワードとして、私が常々申し上げているのが、「自助・共助・公助」です。
 まず、「自助」というのは、自分(たち)ができることは自分(たち)でする、家庭でできることは家庭で行う、そして、「共助」は、個人あるいは家庭でできないことは、地域社会の中で、お互いに助け合って(支え合って)問題解決を図る、そして、どうしても「自助」「共助」という民間でできないことを公がサポートするのが「公助」ということになります。
 イギリスの作家スマイルズの「自助論」は、明治の多くの青年たちの心をとらえたと言われていますが、その著書の中で、「自助の精神が、その国民全体の特質となっているかどうかが、一国の力を見る際の正しい尺度になる」と述べています。
 この言葉は、「国」を「県」に置き換え、そして、ここでいう「自助」には「公に頼らない、共助」も含めてもよいでしょうから、「自助・共助の精神が、その県民全体の特質となっているかどうかが、その県の力を見る際の正しい尺度になる」ということになります。
 私は、この言葉は、まさに地域主権にふさわしい言葉であると思います。地域主権時代において県の力を高めるためには、県民全体の「自助・共助の力」をいかに高めるかが極めて重要であるということです。

県民力の発揮・向上~大型イベントの活用~

 では、どうしたら、この県民全体の「自助・共助の力」を高めることができるのでしょうか。

山口きらら博

 そのためには、私は、県全体の象徴的な大きな舞台が必要であると考え、決断したのが、21世紀のスタートに当たる2001年(平成13年)の、ジャパン・エキスポ「山口きらら博」という博覧会の開催です。博覧会を成功させて、県民の皆さんに、県民の力の大きさ、大切さを実感してもらうことです。
 「もう博覧会の時代ではない」、「どうせ失敗するよ」と言われました。「何としても成功させなければならない」と、必死になって取り組みました。
 博覧会のPRのため、美祢サーキット(現在は、マツダのテストコースになっています)で、日本に1台しかない2人乗りのフォーミュラカーに乗りました。スタンド前の直線が時速270km、カーブでは首に風圧がかかり、本当に首が抜けそうになりました。少しオーバーですが、まさに、死ぬ思いで博覧会のPRをしました。
 「何としても成功させたい」という私の思いが、職員はもとより、県民の皆さんにも伝わっていったと思います。
 開催期間79日間で、入場者数は目標の200万人を大きく超える251万人余りとなり、同時期開催した福島や北九州と比べても、圧倒的にトップを切ることができました。
 県民の皆さんの一致団結した取組は、「やればできる」という大きな自信につながりました。

国民文化祭

 私は、「やればできる」という大きな自信、これを「きららスピリット」と言っていますが、きらら博から5年後の2006年(平成18年)の「第21回国民文化祭やまぐち2006」でも、このきららスピリットが大いに発揮されました。県内各地に、多彩な文化の花を咲かせることができ、目標の100万人を大きく超える145万4千人もの来場者を迎えることができました。
 私は、文化を通じて、「自助・共助の力」、私の言葉で言えば、「県民力」や「地域力」は、大いに、そして確実に高まってきていると感じています。

おいでませ!山口国体・山口大会

 さらに、来年、2011年(平成23年)秋には、「おいでませ!山口国体・山口大会」が開催されます。前回の山口国体は1963年(昭和38年)に開催されましたが、その成績は、東京都に次いで、0.4点差で2位でした。1964年(昭和39年)以降今日まで、高知県を除き、開催県がすべて優勝、天皇杯を獲得しています。
 私としては名字が二井ですから「また2位だった」と絶対に言われたくありません。最後まであきらめないで、天皇杯を目指してがんばり抜きたいと思います。
 皆さんには、ボランティアとして、山口国体を一緒に盛り上げていただきたいし、きらら博に参加してくださったボランティアの方々がそうであったように、山口国体での参加体験を生かし、まちづくりに積極的に関わっていただきたいと願っています。

ホップ・ステップ・ジャンプそしてジャンボリー

 こうした全国規模のイベントを5年刻み程度で開催し、それを一過性のものに終わらせないで、成功体験を継続し、積み重ねることにより、地域主権時代にふさわしい「県民力」、「地域力」を、ホップ・ステップ・ジャンプと、高めていきたいというのが、私の思いです。
 私は、この4期(~2012年(平成24年))で知事を辞めますが、今申し上げました思いから、ポスト国体として、2015年(平成27年)には、山口市きらら浜で「世界スカウトジャンボリー」を開催します。ホップ・ステップ・ジャンプそしてジャンボリーです。
 我が国では、静岡県に次いで、2回目、44年ぶりの開催となります。4年ごとの開催で、山口県の開催は第23回になりますが、世界各国・地域から、約3万人の青少年が集い、キャンプや野外体験活動等を通じて交流する、ボーイスカウトの世界最大の行事です。
 プレとして、2013年(平成25年)には、「日本ジャンボリー」もきらら浜で開催されますので、青少年の健全育成や国際交流など、将来を見据えたしっかりとした基盤も、私の就任期間中に創りあげておきたいと思っています。
 私は、このような全国的なイベントを活用しながら、そのトータルでの成功体験あるいは個別の失敗体験を通じ、県民の皆さんが、県民力・地域力の大切さを認識し、さらに具体的な地域づくりの中に生かしていただきたいと願っています。

山口県の概要

 それでは、「県民力」「地域力」を具体的な地域づくりの中に生かしていくためにはどうしたらよいでしょうか。そのためには、まず、山口県あるいは自分が住んでいる市や町、地域のことを知ることが大切です。
 そのような意味を込めて、次に、山口県とはどのような県なのか、その概要をお話します。

山口県の特徴

 山口県は、三方が海に開かれ、自然環境に恵まれた多様性に富んだ県です。
 私は、山口県を紹介するとき、「山口県は、水産県、観光県、教育県、工業県、さらには環境県でもあり、多彩でバランスのとれた住み良い県です。」と話しています。
 歴史の転換点の舞台としても有名であり、貴族社会から武家社会への転機となった「源平の合戦」や、近代社会の幕開けとなった「明治維新」の胎動の地として、歴史・文化遺産が数多く残っています。
 そして、人材輩出県でもあります。山口県は、維新の志士として、吉田松陰、高杉晋作などが有名ですが、総理大臣も、全国で最も多い8人を出しています。
 したがって、政治関係の人材が多い印象がありますが、近代文学を代表する叙情詩人・中原中也のほか、童謡詩人・金子みすゞ、放浪の俳人・種田山頭火、「おはん」を書いた宇野千代などの個性豊かな文学者も多く出ています。
 また、山口県の特徴でもあり、大きな悩みでもあるのが、山口県には、多くの県に見られるような、人口30万人以上の県全体をリードする中核都市がないということです。
 山口県の都市の配置を見ますと、瀬戸内海側には、西から、下関市の28万人を最高に、宇部、山口、防府、周南、岩国と10万人台の都市が並んでいます。また、日本海側には、萩と長門の2市があります。
 山口県は、県内どの地域でも、一定程度の都市型サービスが受けられる反面、他県との地域間競争を勝ち抜くための力が弱い、分散型の都市構造になっています。
 このことは、後ほど申し上げますが、人口減少という、山口県の大きな課題とも結び付いています。
 産業面では、瀬戸内海側に、石油コンビナートが立地しており、基礎素材型に特化した産業構造となっています。また、自動車産業も、防府市にマツダが立地しています。従業員1人当たりの製造品出荷額は、過去8年間、全国1位を続けている工業県です。
 また、こうした企業の好調に支えられ、2007年(平成19年)の1人当たり県民所得も、全国14位にランクされています。西日本では広島県に次ぎ2位となっています。
 水産県としても有名です。皆さんもよくご存じの「ふぐ」(これは県の魚)や水揚げ高日本一の「あんこう」をはじめ、剣先イカなど魚介類の宝庫です。
 また、アナゴに似た「はも」は、京都の夏の味として有名ですが、山口県が全国2位の水揚げ量を誇っています。
 また、最近、国内外で地震による災害が起きていますが、山口県は地震が比較的少ない県であり、こうした地域の特性から、例えばKDDIなどの衛星通信用パラボラアンテナが多数立地しています。

進む人口減少

 一方で、先ほど述べましたように、山口県は分散型の都市構造となっており、雇用創出効果の高い第三次産業、いわゆる都市型サービス産業の割合が低いため、人口減少が進んでいます。
 我が国の人口は、2005年(平成17年)に減少に転じましたが、山口県全体では、1986年(昭和61年)から減少が始まっており、2009年(平成21年)の人口移動統計調査で146万人であった人口は、26年後の2035年(平成47年)には、110万人になると推計されています。この間の人口減少率は24.2%にのぼり、全国でも高い方から3番目になっています。
 少子化・高齢化も進み、0歳から14歳までの年少人口は、2009年(平成21年)の18万7千人から2035年(平成47年)には10万5千人と、半分近くになり、一方で、65歳以上の高齢者の割合は、27.2%から37.4%になり、全国5位の高齢化県になると推計されています。
 このような人口減少は、労働力人口が大幅に減ることになり、県内総生産や県民所得の減少につながります。
 また、山口県は、山の多い県でもあり、山間部の過疎地域など、いわゆる「中山間地域」が県土の約7割を占め、県人口の約3割がそこに暮らしています。こうした中山間地域では、主たる産業である農業の担い手が不足し、耕作放棄地が増大しています。特に、戸数が20戸に満たない小規模・高齢化集落(いわゆる限界的集落)が、山口県の場合、中山間地域の全集落の約13%を占めており、これらの集落については、その機能維持が困難になるなど、極めて深刻な問題を抱えています。

住み良さ日本一の元気県づくり

加速化プランの概要

 このような山口県の状況の中、私は、1998年(平成10年)に長期的な県政運営の指針として「やまぐち未来デザイン21」を策定し、これまで五次にわたる実行計画に基づき、「21世紀の山口県づくり」に取り組んできました。そして、昨年3月に、第六次の実行計画として「住み良さ日本一元気県づくり加速化プラン」を策定しました。
 この「加速化プラン」は、私にとっては、デザイン21の総仕上げとなる計画です。
 この加速化プランでは、施策を展開していく体系として、「県民のくらしの安心・安全基盤の強化」をはじめとした「6つの加速化戦略」と「21の戦略プロジェクト」を設定し、「選択」と「集中」の視点で絞り込んだ「96の重点事業」を掲げ、具体的な数値目標として、104の「住み良さ・元気指標」を新たに設定しています。
 この「加速化プラン」の大きな特色は、「住み良さ・元気指標」という、数値目標を掲げているということです。
 その一部を抜粋しました。

住み良さ元気指標 抜粋

 このように、重点事業ごとにそれぞれ目標値を掲げ、全国的に優れた分野は、その順位の維持やさらなる向上のための取組を進める一方、劣っている分野については、今後、より「重点化」「集中化」を図りながら、着実に推進していかなければならないと考えています。
 これら県の施策を推進するためには、県民の力に負う分野も多くあります。「加速化プラン」の中でも、住み良さ日本一の県民運動、自主防災組織率の向上、がん検診の受診率の向上に向けた県民運動、防犯ボランティアによる自主的な防犯活動、交通安全県民運動、子育て県民運動、地域での見守り・支え合い体制、国体県民運動、県内食料自給率の向上、県民総参加型地域づくりなど、多岐にわたる県民活動を掲げています。
 先ほど地域主権時代における県民の意識改革について「行政依存」から「自立」へという話をしましたが、身近なところに「自分ができること」は沢山あるはずです。学生の皆さんも、ぜひアンテナを張って、県民活動等に積極的に参加していただきたいと思います。
 さて、ここでは、劣っている分野のうち、自主防災組織率に関連する「安心・安全基盤の強化」と、食料自給率に関連する「地産・地消の推進」について、少しお話をします。

〈安心・安全基盤の強化〉~最低限のセーフティネットづくり~

マズローの欲求段階説

 まず「安心・安全基盤の強化」についてですが、皆さんは、「マズローの欲求段階説」をご存知でしょうか。

マズローの欲求段階説の図

 アメリカの心理学者マズローは、この画面のとおり、人間の欲求には段階があって、まずは、「食べる」「眠る」などの「生存の欲求」から始まり、安全に生活したいという「安全の欲求」に移っていく、そして、人間が生存していくために必要不可欠な、この2つの最低限の欲求が満たされると、より高い欲求である「帰属の欲求」(集団の一員として認知されたいという欲求)、「尊敬の欲求」(他人から尊敬されたいとか、人の注目を得たいという欲求)、「自己実現の欲求」(各人が自分の世界観や人生観に基づいて自分の信じる目標に向かって自分を高めていこうとする欲求)が芽生えてくる、と唱えました。
 このマズローの欲求5段階説に沿って申し上げますと、我が国は、第二次世界大戦後、戦後復興から経済成長を通じ、その生存の欲求とか、あるいは安全の欲求を満たし、物の豊かさを実現し、より高次の欲求へと、順調な歩みを続けてきたように見えました。
 しかし、1995年(平成7年)1月の、あの阪神淡路大震災を境に、我々が信じてきた我が国の「安全神話」が大きく崩壊したと言えるのではないでしょうか。それ以来、全国各地での地震の発生、食品の偽装事件や振り込め詐欺、無差別殺傷事件など、安心・安全を脅かす様々な事件・出来事が起き続けています。また、宮崎県では、口蹄疫発生という極めて深刻な問題が起きています。
 私が知事に就任した以降の県内の甚大な自然災害を振り返ってみますと、1999年(平成11年)の山口宇部空港が水没した台風18号での高潮被害、2005年(平成17年)9月の錦川の氾濫による岩国地域を中心とする被害、そして、昨年7月に発生した、我々がかつて経験したことのない大規模な土砂災害等による豪雨災害などがあります。そして、自然災害以外では、2004年(平成16年)1月に、旧阿東町の養鶏農場で、日本国内で79年ぶりとなる鳥インフルエンザが発生しました。
 また、いわゆる「格差」問題や世界的な金融危機による経済不安・雇用不安など、最も基本的に守られるべきである「安心・安全」が、大きな脅威にさらされています。
 したがって、私たち政治行政に携わる者は、人々の欲求のうち、生活の確保や安心・安全といった、「マズローの欲求段階説」でいえば、「生存の欲求」「安全の欲求」に対する政策、人間にとって最も基礎的な政策をもう一度点検して、見直していく、そのことが、現在最も大きな課題の一つとなっていると、私は考えています。
 したがって、私は、加速化プランの6つの戦略のうち、「県民のくらしの安心・安全基盤の強化」を最優先に取り組んできました。
 今年度予算においても、喫緊の課題である景気・雇用対策をはじめ、昨年の豪雨災害を踏まえた防災対策の強化や耐震化の推進、医療体制の充実、交通事故防止対策の強化などに、全力で取り組むことにしており、私は、任期一杯、「安心・安全基盤の強化」に全力投球します。

自主防災組織率の向上~共助の大切さ~

 次に、先ほど劣っている分野として掲げた「自主防災組織率の向上」についてです。
 私は、行政側の防災対策の取組が成果を出せるかどうか、その大きな鍵は、住民の皆さん、また地域コミュニティにそれを受け入れる土壌が育っているかどうかにあると考えています。
 仏教の禅の教えに「啐啄同時」という言葉があります。
 鳥の卵が孵化しようとする時に、雛が殻の内からつつくことを「啐(そつ)」、母鳥がそれに応じて殻をつつくことを「啄(たく)」といい、両者が一致した時に雛が誕生することを表す言葉ですが、学ぼうとする者の意欲に、教える者が素早く応じ、物事が成就することを表す言葉でもあります。
 防災についても、住民の意識と行政の取組が合致した時に、初めて地域に密着した防災が育っていくのではないでしょうか。
 現在、地域コミュニティは、特に都市部においても、共同体的な機能を失いつつあります。核家族化や少子高齢化、地域の過疎化、ライフスタイルの変化など、その原因は様々でしょうが、最も私が危惧するのは、住民同士が互いに関心を持たなくなることです。
 例えば、阪神淡路大震災直後の救出救助活動に関しては、数万人の要救助者がいたとされる中、その8割は、地域住民の手で助けられています。生き埋めとなった人の救助や初期消火など災害直後の応急活動は、向こう三軒両隣という小さなコミュニティによって行われました。
 ただし、もし貴方が隣の住民に関心を持っておらず、相手も貴方のことを日頃から気にしていなければ、果たして隣人は貴方を助けに来てくれるでしょうか。
 阪神淡路大震災では、一人暮らしの学生が、地域の誰にも名前や顔を知られていなかったばかりに、誰にも気づかれることなくアパートの下敷きとなって命を落としたというニュースがありました。日常生活の中で、地域に暮らす人々とどのようなコミュニケーションを培っているかが、いざという時に命を救うことにつながります。逆に言えば、若い男性であっても、地域でのネットワークを持っていなければ、災害発生直後には「災害弱者」となる可能性があるということです。
 重要なのは、私達一人ひとりが、ともに助け合いの意識を高く持つことではないでしょうか。そのメルクマールの一つが、主として自治会や町内会単位で組織される自主防災組織の組織率がどうなっているかです。
 その山口県の状況は、県が市町村への指導を徹底してきたにもかかわらず、先ほど申し上げたように、安全な県(地域)という意識があるのか、依然として低い状況にあります。

山口県の自主防災組織率の推移のグラフ

 また、市町によってもまだまだバラツキがあります。組織率の向上に向けた市や町の取組の強化が必要です。

地産・地消の推進~食料自給率の向上~

 次に、「地産・地消の推進」についてですが、「地産・地消」とは、地元で採れたものを地元で消費しようという取組です。
 我々の名字には、田や畑、山や森や林など農林業にかかわる漢字が多く使われていますが、その我々の多くが今日農林業から離れ、1965年(昭和40年)、カロリーベースで73%あった我が国の食料自給率も、今や40%までになっています。
 本当に今の日本の食料自給率は40%でいいのでしょうか。先進主要国の食料自給率は、イギリスが70%、ドイツが84%、フランスが122%、アメリカが128%と、非常に高い数字になっています。2003年(平成15年)末には、アメリカで、BSE、狂牛病問題が発生し、全国チェーン店の牛丼が食べられなくなった騒ぎまで起きました。
 山口県の食料自給率は、カロリーベースで33%(30位、全国40%)、生産額ベースで50%(35位、全国66%)となっています。
 日本も山口県も、海外で何か起きても十分対応ができるような自給率に、やはり上げていかなければなりません。
 また、山口県の場合、その地理的な条件から、県土の7割を占める中山間地域で、主として農林業が営まれています。この中山間地域の農林業は非常に厳しい状況にありますが、これらの産業が廃れていったときに、どうなっていくのかということを考えなければなりません。水田は自然のダム、森林は緑のダムと言われています。農山村で農林業が営まれることによって、都市部に住んでいる人達は、災害が防止されたり、水源を涵養してくれたり、いろいろな恩恵を受けています。
 私は、「地産・地消」は、食料自給率の向上の面、自分たちの住んでいる周辺の中山間地域を守っていくという面、そして、「生産者の顔が見える農産物を消費しよう」という安心の面など、大きな広がりを持った取組であると考えています。
 さらに、地産・地消を進めることは、食料の輸送距離を意味するフード・マイレージも小さくなり、CO2排出量が少なくなることから、地球温暖化防止にも役立つのです。
 したがって、私は、今進めている「地産・地消」の取組を一層強化しながら、これまでの地産・地消から、県内で消費・利用されるものはできる限り県産品で賄うという、「地消・地産」へ大きく発想を転換し、県民全体で食を支える仕組みづくりを進め、県内食料自給率の向上に結び付けていく必要があると考えています。
 このことは、商店街の活性化についても言えるのではないでしょうか。地域の商店街が疲弊をすると、いろいろな問題が起きてくるわけですから、やはり、お互いに支え合っていくようなシステム、地元で買物をする、こうしたシステムを地域の中で創りあげていくことがとても大事だと思います。
 いずれにしても、この分野における住民の側の意識改革が必要なのではないでしょうか。

交流人口の拡大

 以上、山口県の現状や県民の皆さんの意識改革、実践活動の必要性等について申し上げましたが、私は、地域主権が進もうとしている今こそ、県民一人ひとりが、地域を守り育てていく当事者であるという意識を持ち、我々行政と協働して、直面する課題を解決する努力が必要ではないかと、改めて思います。

リクルートの調査より

 ところが、先日、我々にとってショッキングな調査があることを知りました。それは、(株)リクルートの旅行センターが3月に発表した「都道府県別の住民のふるさとへの愛着度等の調査」です。

交流人口の拡大の説明 図

 それによると、まず「県についてとても愛着を感じる」と答えた人の割合が、沖縄県がトップで65%に対し、山口県は23%で41位、「地元へ旅行に来てほしい」と答えた人の割合は、北海道がトップで61%、山口県は26%で39位です。そして、愛着度もお勧め度もどちらも低いのは、山口県と千葉県、埼玉県など数県ということです。
 また、「温泉」、「海・湖・河・山などの自然」、「郷土料理」といった12のテーマごとの愛着度についても、全国的にも有名なものがあるにもかかわらず、上位10位以内に1つも入っていません。これも、全国で数県ということです。
 県政世論調査では、県民の皆さんの約9割が「山口県は住み良い」とされており、リクルートの調査についてもいろいろな見方はできると思います。
 例えば、この調査では、「山口県への愛着度」ということで質問されています。山口県は、先ほど申し上げたように、それぞれが特色を持つ分散型都市構造になっており、山口県民は、山口県というよりは(私としては寂しいのですが)、より狭い地域(市や町)への愛着の方が強いのではないかという見方もできるのではないでしょうか。また、お勧め度についても、観光資源が豊富にある一方、バランスが良すぎて、山口県を代表する目玉が挙げにくい、県民の謙虚さが背景にあるのではないかと思います。
 しかし、どのような弁解をしても結果は結果です。我々は、それぞれの分野で、県民の皆さんが、ふるさとに愛着を持ち、自信を持って発信できる山口県の良さを、知恵を絞って創り出していかなければなりません。

交流という視点

 私は、このリクルートの調査結果を踏まえての県づくりのために必要となる一つの視点は、「交流」だと考えています。
 先ほどお話しましたが、これから人口減少社会を迎えます。人口が減少していくということは、モノやサービスを買う人が絶対的に減るわけですから、需要が減少し、地域の経済力の低下を招くことになります。その影響は、地方圏ほど深刻です。
 だから、地方は、人口減少という事態に直面する中で、地域の活力を維持し、地域の元気を創造するためには、外からの需要を取り込んで、地域の経済力を上げることが非常に大切だと考えています。
 つまり、定住人口だけではなく、「交流人口」というものも視野に入れ、その拡大を柱の一つに据えた県づくりを進めていく必要があるということです。

観光客3千万人構想の推進

 そして、その交流人口拡大の中核を担うのは観光です。
観光は、交通、輸送、ホテル・旅館、飲食はもとより、農林業・漁業など幅広い分野に関連し、地域経済全体の生産や雇用への「波及効果」が著しく大きいからです。

観光客数の推移

 ところで、まず、本県の年間観光客数ですが、過去最高を記録したのが、山口きらら博があった2001年(平成13年)の約2550万人です。そして、国民文化祭を開催した2006年(平成18年)が約2530万人です。それ以外の年は、なかなか2,500万を超えることができていない状況です。
 しかし、大規模イベントによる集客分を除いて経年変化を見ますと、2004年(平成16年)以降は増加傾向にあり、年間観光客数も2008年(平成20年)には約2,451万人と、2,500万人にもう一歩というところまできました。ただ、2009年(平成21年)は、新型インフルエンザ、災害等もあり、2,433万人で、前年に比べ18万2千人(対前年比0.7%)の減少となりました。

具体的な取組

 私は、このような中、昨年3月、「年間観光客3千万人構想」を打ち出し、その実現に向け、具体的な取組を実施しているところです。 まず一つ目は、先ほどの愛着度、お勧め度にも関連することですが、県民の皆さんにもっと山口県のことを知ってもらう取組です。
 昨年度から「ぐるるん!山口」県内周遊観光キャンペーンに取り組み、県民の皆様に県内各地に出かけていただき、本県観光の魅力を再認識し、自らが県外に向けた観光PRや観光地づくりへの参画にもつながるような機運づくりを進めています。また、このことに関連して、山口市などが取り組んでいる「ご当地検定」の山口県版を、山口県立大学で取り組むことはできないかということです。
 二つ目は、山口県は、日帰り観光客と比較して、宿泊客が少ないので、宿泊観光客を増加させるために、ブラッシュアップする取組です。
 観光は、従来の「見る」観光から「体験する」「味わう」観光へと、人々の観光ニーズが変化する中で、旅先において、「その土地ならでは」のものを食べてみたい、地元の人々や作り手の気持ちが伝わる料理を食べてみたいという旅行者は確実に増えており、今や「食」と「観光」は切り離せないものとなっています。
 本県では、その地域らしさを観光客にじっくりと味わってもらう「ご当地ならではの旅」、「やまぐちの地旅」づくりを進めていますが、このような観光ニーズをしっかりと踏まえ、旅行者が帰っても、「山口県は良かった」と具体的な印象として残り、PRしてもらえるような「地域のブランド力」を、その地域の中で何に求めるのか、より強力な特色づくりが、今求められているのではないでしょうか。
 三つ目は、国外からの観光客の誘致です。
 成長著しい東アジア地域からの観光客を拡大するため、国や近隣県と連携して海外でのPR活動に取り組むとともに、山口宇部空港を利用する国際チャーター便の誘致をはじめ、新たに、下関と韓国釜山を結ぶ関釜フェリーや、下関と中国青島を結ぶオリエントフェリー等の国際フェリー会社とのタイアップ等により、韓国・中国からの誘客を進めていきます。
 特に、7月から、中国人に対するビザの発給要件が緩和され、訪日観光客の大幅な拡大が見込まれています。この好機を逃さず、私自ら8月に山東省を訪問し誘客活動を展開します。
 そして、2012年(平成24年)には、こうした取組成果の集大成として、全県が一体となって「おいでませ!山口イヤー観光交流キャンペーン」に取り組み、年間観光客3千万人の実現を目指していくこととしています。

県民力、地域力が観光振興の戦力

 このように観光は様変わりしており、地域の創意工夫により、何でも観光素材になりますし、誰もが観光の担い手になれます。
 これからの観光の振興に当たっては、地域の観光関係者や観光業界だけが取り組めばいいというのではなく、行政、団体、企業、大学、住民など、幅広い主体の参画と連携により進めていくことが重要となってきます。
 そのような意味でも、これまで申し上げてきましたように、「山口きらら博」や「国民文化祭」などを通じて高まった「県民力」、「地域力」が、観光振興の大きな戦力になることを期待しています。特に、観光振興には、学生をはじめ、若い皆さんの感性が重要ですので、それに関わるイベント等にも積極的に参加し、提言していただきたいと思います。
 なお、最後に、個人が造りあげられた観光地を紹介します。長門市俵山の「しゃくなげ園」です。運営者は金川鐵夫さんで、40年間、自分の裏山に植栽し続けてこられました。現在、2ヘクタールの敷地に130種類2万本余りが見事な花をつけています。2003年(平成15年)くらいから沢山の人が見学に訪れるようになり、近年では、見頃の4月から5月上旬にかけ、2万人の観光客で賑わっており、昨年度、(社)日本観光協会から、「花の観光地づくり大賞」という最高賞を受賞されました。金川さんは、今後、地域の応援や観光関係者等との連携のもとで3年程度で、3ヘクタール、3万本を目指すと、張り切っておられます。個人でも継続すれば大きな力になる、まさに「継続は力」なりです。

おわりに

 時間がきました。皆さんは、サッカーのワールドカップでの岡田ジャパンの戦いぶり、ご覧になられたでしょうか。私は、全試合、テレビを通じライブで応援しましたが、よく頑張ったと思います。感動しました。大会前の強化試合での4連敗、監督も選手も苦しかったと思います。その中で、あれだけの力、あの粘り、結束力はどこから生み出されたのでしょうか。
 私が地域づくりのキーワードとして掲げる「自立」「協働」「循環」という言葉で申し上げれば、逆境をバネに、自分の力を出し切るという「自立」の強い気持ちが生まれ、選手一人ひとりの力を結束すること(協働)により、単純に足せばイレブン(11)の力が40にも50にもなる力になっていったのではないでしょうか。そして、カメルーン戦の勝利により、チーム内に良い「循環」、「やればできる」という上昇気流が起きたのではないでしょうか。
 菅総理は、よく「失われた20年」という言葉を口にされますが、今、政治も経済も社会も、あらゆる面で閉塞感が漂っています。しかし、それは、時代の転換期に常に起こる「生みの苦しみ」だと思います。
 したがって、我々は、今回のサッカーからの教訓にも学び、決して後ろ向きになることなく、常に新たなものを創り出すのだという「前向き」の姿勢が大切なのではないでしょうか。
 特に、学生の皆さんには、山口県というフィールドをうまく活用され、地域との関わりの中で、様々な分野で、「学生力」という「県民力」を発揮し、将来の財産にしていただくよう、期待し、私のお話を終わります。