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知事発言集・立命館大学政策科学特殊講義

ページ番号:0011404 更新日:2003年10月21日更新

平成15年10月21日 立命館大学政策科学特殊講義

はじめに

「21」に込めた思い

 皆さん、こんにちは。山口県知事の二井関成です。
 今日は、多くの若い人たちの前でお話できることを大変楽しみしてまいりましたが、このリレー講義も最終クールに入り、皆さん、かなり政策通になっておられるでしょうから、少々緊張もしております。

 さて、私の名前は、名字も下の名前も大変珍しいものですから、よく「三井(ミツイ)」とか、「フタイ」とか、「ニイゼキ」などと言われました。しかし、この名字が今は役立っています。
 私が知事に就任したのは、21世紀を目前に控えた1996年8月でした。その前は、山口県の出納長をしていました。出納長から一気に知事選挙に出たものですから、県内でも知名度が全くない中で、とにかく名前を早く覚えてもらいたいと、「二井(ニイ)」というのは、数字で言えば「21」だとか、21世紀の「二井」だとか、「二井」を「一位」にとか言って知事選挙を戦いました。もちろん出馬に当たって、私自身がこの「21」に込めた思いは、「21世紀の山口県を元気にスタートさせる」「21世紀の山口県の新たな発展基盤、基礎を創り上げる」という強い思いでした。
 ですから、私は、数字の「21」には運命的なものを感じ、特別な思いで、「21世紀の新しい山口県づくり」にチャレンジしています。
 私は野球が大好きです。4年前に阪神タイガースがペナントレースのトップを走っていた5月の後半、甲子園で阪神・巨人戦があり、そのとき山口県の観光PRをするということで、始球式に出ました。ユニフォームの背番号はもちろん21です。時速120km近い球を投げたところ、超満員の5万5000人の観衆から大拍手を浴びました。野球のユニフォームだけではなく、自家用車のナンバーも21、ゴルフのハンディも21です。そういえば、図らずも、今日は21日です。
 これだけ言いましたから、皆さん、今後、「山口県知事の名前は」と聞かれれば、「二井」と答えていただけるのではないかと思います。

山口県と立命館との関わり

 さて、伝統あるこの立命館大学にお招きいただきましたので、山口県と立命館との関わりについて、少しお話したいと思います。
 山口県には、この立命館と深い関わりがある重要な人物が二人います。
 その一人は、皆さん御存知だと思いますが、近代文学を代表する叙情詩人、山口県出身の中原中也です。
 中原中也は、1907年(明治40年)4月に山口市の湯田温泉で生まれました。医者になることを期待され、成績も優秀だったようですが、途中で文学に熱中したために旧制中学を落第してしまいます。それで、両親は、山口から離れた地の学校に転入学させました。それが立命館中学高で、1923年(大正12年)のことでした。中也が京都で過ごした期間は、2年間という短い期間でしたが、この京都で友人や恋人との運命的な出会いがあり、本格的な詩の創作活動の契機になりました。

  • これが私の故里(ふるさと)だ
  • さやかに風が吹いてゐる

 これは中也の「帰郷」の一節ですが、中也は十分な評価を得ないまま、帰郷を前に30年の短い生涯を閉じます。その名声は死後高まり、年とともに評価があがってきました。山口市湯田温泉には、現在、記念館が建っていますが、若い女性を中心に訪れる方が後を絶ちません。皆さんもぜひお越しいただきたいと思います。

 もうひとかた、この立命館との関わりで、忘れられてはならない人物がいます。皆さんの方が詳しいかもしれませんが、戦後、立命館大学の総長を歴任された、故末川博先生です。
 末川先生は、山口県東部、岩国市のすぐ近くの現在の玖珂町の生まれです。このキャンパスにも末川記念館がありますが、「未来を信じ、未来に生きる」という末川先生の言葉は、様々な講演や大学・高校等の式辞にも引用され、あまりにも有名です。今日の講義のタイトルは「ふり返れば未来」ですが、先生のこの言葉と相通ずるものがあると私は思っています。

本日の講義の趣旨

 さて、「ふり返れば未来」という言葉が出たところで、本日の講義のテーマについて、簡単にお話しておきたいと思います。
 「ふり返れば未来」、これは東京大学の名誉教授である木村尚三郎(しょうざぶろう)先生の言葉です。例えば、5年前に出版された『美しい「農」の時代』という著書の中では、ちょうど当時放映されていましたNHKの大河ドラマ『毛利元就』のことにも触れられ、「なぜ、我々は、あの大河ドラマを見るのか。大昔に生きた頭の古い人間と思って見物しているわけではない。かれらといっしょになって泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら、我々が忘れてしまった昔ながらの知恵とか、勇気とか、愛情とかを掘り起こそうとしているのである」という趣旨のことを述べています。
 高度成長期を経て、成熟期に入った日本社会は、現在、閉塞感に覆われ、確実にやってくる少子高齢社会など、5年先、10年先はどうなるのか、一体、どんな未来、社会があるのか、先行きが見通せない状況にあります。こんなときは、いくら前方に目を向けても、未来は見えてこない、過去をふり返り、同じ先の見えなかった前近代の生き方、生きる知恵に学ぶとき、はじめて未来が見えてくる、というのが木村先生の考えです。そして、未来が見えたら、自信と誇りを持って前に進め、それが、末川先生がおっしゃった「未来を信じ、未来に生きる」ということになるのではないでしょうか。
 このことを県づくりに置き換えて考えてみますと、山口県の持っている資源や特性は何か、何が強みなのか、いわば、山口県の「コア・コンピタンス」に当たるものは何かということを見据えて、これからの県づくりを進めていくということになると思います。「山口県らしさ」を大切にして、これらを生かして行う「山口県ならでは」の個性重視の県づくりは、競争の優位性にもつながるはずだからです。このような思いを込めて、私は「ふり返れば未来」という言葉を使っており、今日はこのような観点で、今後の県づくりについてお話していきたいと思います。

きらら博の意義

きらら博へのこだわり

 まず、「ふり返れば未来」の具体的な取組、プロジェクトX風に言いますと、山口県の命運を賭けた一大プロジェクトが、2001年のジャパンエキスポ「山口きらら博」でした。私が知事に就任したのが、1996年の8月です。当時は、東京の都市博中止が決定されていましたし、「1期目から政治生命を賭けるような冒険をすべきではない」というような温かい御意見や、「なぜ今さら博覧会なのか」「博覧会は時代遅れ」「どうせ失敗するよ」というような冷たい声も聞こえ、最終的にどうするか、随分悩みました。
 しかし、先ほどお話しましたように、「21」に賭けた私の思いがありました。21世紀の山口県を元気にスタートさせるためには、まず、県民のエネルギーを結集させる起爆剤、「舞台」が必要なんだ、その舞台は博覧会しかない、21世紀のスタートに当たり、山口県の魅力、歴史、資源をふり返ることによって、未来へ向かうエネルギーをつくり出そう、そして、明治維新発祥の地、この山口県から、「元気」を全国に発信しよう。そういう思いで、知事就任直後の9月県議会で博覧会開催を表明しました。
 つまり、「ふり返れば未来」を、博覧会を通じて実践しようとしたわけです。だから、絶対に成功させなければいけませんし、私個人にとっても人生を賭けた大きな決断でもありました。

苦難と試練の道のり

 覚悟はしていましたが、予想どおり苦難と試練の連続でした。
 まず、博覧会にとっては、テーマが大変重要で、新世紀の幕開けにふさわしいテーマ設定が必要となります。木村尚三郎先生を総合プロデューサーにお迎えして、私たちは、21世紀というのはどういう時代になるのだろうか、どういう社会でなければいけないかということを徹底的に考えました。
 そして、出した答えは、21世紀というのは、「いのちについて深く問い直す時代」であるということです。だから、「モノ」ではなく「いのち」に焦点をあて、「いのち」というまなざしから、人、自然、産業、地域社会のあり方を考えていくべきだ、そして、この山口県から、その「いのち」を燦(きら)めかせ、21世紀を切り拓いていこうと決めたのです。
 こうして、テーマが「いのち燦(きら)めく未来へ」、キーワードは「元気」に決まりました。また、「燦(きら)めく」は難しい漢字ですので、親しみやすく「きらら」という表現を使い、博覧会の愛称を「きらら博」としました。
 「いのち」も「元気」も「きらら」も、いずれも感性には訴えることができますが、理念的で、具体的なイメージが湧きにくく、「いったいどんな博覧会なのか」とよく言われ、内容の浸透、PRには本当に苦労しました。

 また、バブルは崩壊し、景気も低迷しており、そんな中で企業に出展・協賛等の協力をお願いするには、「この博覧会を絶対に成功させるんだ」という、強い信念というか、思い込みがなければとてもできるものではありませんでした。
 しかし、最終的には、17社、15館の企業パビリオンが立ち並び、1000社を超える企業、団体から総額約15億円余りに相当する協賛をいただくことができました。企業パビリオンというのは「博覧会の華」であるだけに、協力いただいた企業・団体の皆さんには、心から感謝しております。

 最後まで心配だったのは、なんといっても集客です。これには、大きな課題と不安を抱えていました。
 挑戦者にはライバルがつきものですが、きらら博にも強力なライバルがいました。「福島県」「北九州市」が、同じ2001年に地方博覧会の開催を予定していたのです。多少の会期のズレはありましたが、最も多くの集客を見込んでいる夏休み期間は、みごとに三者の期間がぶつかり合います。
 特に、距離的にも近い北九州市は、なんといっても100万都市、博覧会会場の隣には、大テーマパークのスペースワールドもあります。「3つの博覧会のうち、一番苦戦するのは山口県の博覧会だろう」とか、「この際、北九州と連携してお客を呼ぶことを考えたら」という、「大きなお世話だ」と言いたくなるような声もありました。
 しかし、大方の予想を裏切り、きらら博は、目標の200万人を25%も上回る251万人余りの来場者を迎えることができ、6億2000万円余りの剰余金を計上することができたのです。中でもこの博覧会で記録した、ジャパンエキスポ史上最高の1日当たりの入場者数9万7053人は驚異的な数字で、会期後半、「会場からオーラ、熱気が溢れていた」と言われた現象が起こりました。

きらら博は実験場

 開催までの道のりは、私にとっては長い、長いものでしたが、なぜか私は、失敗すると思ったことは一度もありませんでした。私のモットーは、「用意周到に準備し、楽観的に取り組む」ということですし、私は、結果については絶対に後悔しないこと、万一の場合は全責任をとるという気持で、背水の陣で臨みました。
 「きらら博」を単なる一過性のイベントで終わらせてはならないと考え、「県民参加型博覧会」「ホスピタリティ、思いやりの博覧会」「ごみゼロ博覧会」「バリアフリー博覧会」として、具体的な政策の実験の場にしました。
 実験の具体的な成果は、時間の関係で「ごみゼロ博覧会」としての実験についてのみ説明しますが、これまでの博覧会では一人当たり約300gであったごみの排出量を、マイコップやマイバッグの使用で120gにおさえ、8種類の分別収集により99.7%がリサイクルできたという結果になりました。
 実験はことごとく成功し、今、山口県内各地域、各分野で、その成果が生かされています。愛知万博の関係者の方も、当時、多数視察に来られており、「きらら博」のノウハウは、愛知万博にも確実に生かされようとしています。

新たな財産―自立・協働・循環

 きらら博には実に多くの人が関わりました。
 毛利元就の言葉に「百万一心」がありますが、企画・運営に参加してくれたスタッフやボランティア等が、県民あげて、この博覧会を素晴らしいものにしようと、文字通り、心を一つにし、「協働」してくれました。そして、その過程で、それぞれが、受け身になるのではなく、「自分たちでできることは自分たちがやる」という意識をしっかり持って、あらゆることに「しなやかに」「スピーディー」に対応してくれました。その対応の素晴らしさが、来場者に大きな感動を与え、口コミで拡がっていった。このことがスタッフ、ボランティア等自身へも伝わり、その対応に一段と磨きがかかっていきました。会場内に、来場者の「評価する、誉める」、スタッフ、ボランティア等のその「期待に応える、頑張る」という好循環、「心の循環」が生まれたのです。私は、その意味で、「きらら博」は「心の成功」であったと言っております。
 大学のキャンパスの中でも私は同じことが言えるのではないかと思うのです。この大学で学ぶ中でいい循環をつくっていく、皆さん自身が努力をすることによって、大学はすばらしいものになっていく、循環というのは、どこの、どのようなケースでも当てはまるのではないのでしょうか。
 後ほど、県づくりのキーワードとして「自立」「協働」「循環」の3つのことをお話しますが、この3つのキーワードが、この博覧会の成功の秘訣であった、博覧会から得た教訓・財産であったと考えております。

地方分権の課題

国と地方の役割

 さて、地方の問題として、現在、最も重要な視点は「地方分権」です。地方分権の必要性などについては、すでに、いろいろな知事からお話があったと思いますので、ここでは、私なりの思いを簡潔にお話しておきたいと思います。
 私は、国の役割は、「国でなければできない仕事」、すなわち、外交、防衛など国家の存立に関する問題や、社会保障や経済など政府がリーダーシップを持って全国的な観点から進めなければならない課題に限定すべきであり、国の権限、財源はできるだけ住民に身近な地方自治体に移譲すべきであると考えております。
 したがって、私は、国庫補助金は「原則廃止すべき」であると考えております。
 山口県の今年度予算で言いますと、県の予算総額は7800億円です。このうち17.4%を占める1,320億円が国庫補助です。その国庫補助金の中でも、例えば、生活保護費や災害復旧費など100億円を除く、1,220億円(92.3%)を廃止し、税源移譲すべきであると考えております。
 このことを全国知事会に対しても、意見として申し上げておりましたが、この10月に、各県の意見を集約し、全国知事会会長の岐阜県梶原知事の、いわゆる「梶原私案」が発表されました。この梶原私案の中身を見てみますと、まず、都道府県への補助金は11.4兆円。このうち、総額9兆~10兆円の補助金を削減すべきであるとしており、政府の骨太の方針で掲げた4兆円を大きく上回る額の削減を掲げています。また、この9兆~10兆円の補助金削減に見合う、地方への税源移譲の額としては、義務的なものは10割、それ以外は8割が移譲されるという前提で計算して、8兆~9兆円を移譲すべきであり、所得税から住民税へ約3兆円、消費税から地方消費税へ約5兆円、揮発油税の一部の地方譲与税化で約1兆円としております。
 私は、梶原私案は、山口県の案に近く、評価しておりますので、この案を中心に議論を進め、できる限り多くの税源移譲を求めていかなければならないと考えております。これから来年度の予算編成作業が本格化しますので、税源の移譲等を実現させていくためには、これから年末にかけてが一番大切な時期です。全国の都道府県が一致結束して、取り組んでいく必要があると考えております。

我々自身の意識改革

 一方で、地方分権を実践していくのは我々ですから、国に対し、はっきりともの申すことも必要ですが、同時に、我々自身の意識も変えていかなければなりません。中央集権という環境の中で、私たちは、何かあれば、県は国に、市町村は県や国にというように依存し、実現しなければ人のせいにする、住民も含めて、極端な言い方をすれば、無責任な「依存体質」になっていたのではないでしょうか。
 地方分権には、地方のことは地方自らの責任の下で行うという「自立型」の体制への変換が求められます。そして、これは、単に行政だけではなく、県民もその意識を「自立型」へと転換していかなければなりません。
 先ほど、きらら博の成功の秘訣、きらら博で得た財産は、「自立」「協働」「循環」にあったと言いましたが、私は、この「自立」「協働」「循環」を、地方分権の流れの中で、県づくり、地域づくりを進めていくための、県民共有のキーワードにしたいと考え、機会あるごとに、この理念について県民に話しています。

自立とは

 まず、「自立」とは、県も、市町村も、県民も、それぞれが「自分ですべきことは自分で」という主体性と役割分担意識をしっかり持つということです。
 県の立場から言いますと、そのためには、まず、住民に最も身近な自治体である市町村の力を高めること、すなわち、市町村の財政基盤を強化し、政策・行政能力を高めていくことが喫緊の課題であると考えています。したがって、県としては、市町村合併は避けて通れない課題として、積極的に取組んでいます。
 また、県が総体として真に「自立」し、足腰の強い山口県になるためには、県民の自立を促し、その力、いわゆる「県民力」をいかに高めるかが、今後の大きな課題です。イギリスの作家スマイルズの『自助論』は、明治の多くの青年たちの心を捉えたと言われていますが、その中で、「自助の精神が、その国民全体の特質となっているかどうかが、一国の力を見る際の正しい尺度になる」と述べています。
 幸い、本県の場合、県民パワーの大きさは、きらら博で実証されました。「やればできる」という自信が生まれました。そのパワーを使って、ステップアップするために、2002年4月、「県民活動促進条例」を制定、施行し、きらら博の剰余金約6億円のうち5億円を基金とした新しい財団、「県民活動きらめき財団」を設立するなど、全国的にも先進的な支援体制を整備しています。
 私は、住民の要求が、物の豊かさから心の豊かさに移るにつれ、行政だけでは対応できない公益活動や、NPO法人等県民活動団体と協働で取り組むことで、より成果を上げることができる分野が、今後確実に増えてくると考えていますので、この支援体制の下、きらら博を契機に芽生えた県民活動を、様々な分野で大きく育てていきたいと思っています。
 また、山口県では、2006年に国民文化祭が、2011年に国民体育大会があります。5年刻みで大きなイベントがありますから、これらのイベントも視野に入れながら、県民がその力を存分に発揮できるような様々な「動き」を創り出していく、そして、その動きの中から、新しい知恵を生み出していければと考えています。

協働とは

 次に、「協働」ですが、県も、市町村も、県民も、企業等も、それぞれが持つ個性や特性を持ち寄り、活かし合うこと、異質なものとの出会い、交流を大切にすることによって、その相乗効果で個々の能力の総和を超えた力を生み出し、1+1を2ではなく、5にも6にするように、地域の総合力を高めていこうというものです。
 後ほどお話しますが、そのような意味で、いわゆる「産学官」の連携が重要です。私は、産学官と言わないで、NPO法人なども含めて「産学公」と言っていますが、この産学公の連携というものを、極めて重視しております。

循環とは

 3つめのキーワードは「循環」です。これは、「自立」と「協働」を通じて、人的資源を含めてですが、地域内の資源をうまく活用することによって、地域内でいい循環をつくりあげていこうということで、環境面だけの取組に限るものではありません。
 今、景気・雇用情勢も厳しく、人々の目は、どうしても悪い方向へ、暗い方向へと向きがちです。しかし、それではいい知恵は出ません。最近、人を批判することによって、自分の存在感を高めようというような動きもありますが、それでは何も生まれません。むしろ、短所と思われるものの中にも長所がある、気が付かない所にも評価すべきものがある、そういうプラス思考の中で、きらら博のような良い循環をつくっていくことが大事なのです。さきほど、きらら博はいい循環をつくったケースだと言いましたが、何事においても、いい循環をスクラムを組んで創り出していく、このことが、今、最も求められていると思います。

今後の県のあり方を考えるに当たって

 それでは、具体的に山口県の現状や課題を示して、山口県の今後のあり方についてお話ししていきたいと思います。

市町村合併

 さきほど、市町村合併は避けて通れない課題であると言いました。皆さんは、山口県の都市でどのような名前を思い浮かべられますか。
 萩市や岩国市など、観光地はすぐに思い浮かぶでしょうし、県庁所在地の山口市、下関市やコンビナートの徳山市(これは周南市になりましたが)を思いつく人もおられるでしょう。
 山口県の市町村は、2003年4月20日以前は、56市町村ありました。そのうち、人口5000人未満が15町村、5000人以上1万人未満が18町で、1万人未満が59%と、人口規模の小さい町村が多いのです。そして、中国山地沿いを中心に28の市町村が過疎地域となっています。
 一方、都市は、瀬戸内海側に、西の方から、下関、宇部、山口、防府、徳山、岩国と、下関の25万人を最高に、人口10万人台の中小都市が分散する都市構造になっています。こうしたことからも、県全体をリードする中核都市をつくることが、本県にとって、古くて新しい最重要政策課題であるということがお分かりいただけると思います。
 2003年4月21日に、平成の大合併のトップを切って、徳山市等2市2町が合併して、県内第3位の都市、「周南市」が誕生しました。現在、法定合併協議会は10地域(44市町村)で設置されています。このまま推移すれば、現在の3分の1の、10いくつかの市と町になりますが、今年中には、ほぼその形が見えるでしょうし、その中で、県の役割の見直しも大きな課題になってきます。私は、ここ数年が、山口県の「かたち」を決める上で極めて重要な時期であると考えています。

人口の問題

 次に、山口県の人口についてですが、県全体をリードする中核都市がないということだけが原因ではありませんが、その減り方は、かなり深刻です。
 2000年の国勢調査のデータで見ますと、山口県の人口は約153万人ですが、1986年に減少に転じ、減少率は、秋田、長崎に次いで全国3位、2030年には120万人台にまで減少するという推計もされています。
 減り方というのを少し詳しく見てみますと、従前は、社会減少を自然増加が補うという形でゆるやかな減少になっていましたが、現在では、社会減少を補うどころか、出生数を死亡数が上回る自然減少の状態になっています。社会減少の原因は、「15歳~29歳」の流出によるものであり、近年は、特に「20歳~29歳」の年齢層の転出が増加してきています。
 高齢化率について見てみますと、22.2%と、全国6位、全国に比べて10年程度先行しており、2030年には3分の1が高齢者となりそうです。これに対し、出生率は42位という状況で、出生数の最も多い「20~39歳」の女性の割合が全国より低いことにその原因があると思われます。
 このようなことから、後ほど述べますように、雇用対策や働く場の創出、子育て対策や高齢者対策は、常に県政の最重要課題となっています。

制度的な枠組みの方向性

 さて、地方分権、そして、その過程の中で市町村合併が進んでいけば、県の役割というのも、様変わりしてくると思われます。その中で、制度的な枠組というのはどうなっていくのか、道州制に変わるのか、都道府県合併が進んでいくのか、そうなったときに山口県という存在はあるのか。
 人口やGDPが関東地方、特に東京に集中している現状を前提として考えますと、私は、現状のままで一気に道州制に移行するということには疑問を持っています。東京に一極集中している現状では、財政を支える税収も偏在することとなりますし、成長にも差がつきかねません。もっと、地方の力を高めて、GDPが分散していくような「しくみ」をつくり上げていくことが必要だと思います。
 ともあれ、このことについても、国に一方的に枠組の設計を委ねるのではなく、地方のあり方の問題として、地方が主体的に考えていくことが必要です。現在、本県でも、道州制や都道府県合併についての検討を進めていますし、もしかしたら、新しい枠組で仕事をするかもしれない若い職員にも、自由かつ大胆な発想で研究をしてもらっています。
 こうした検討状況や、地方制度調査会での議論なども十分に見ながら、私なりの結論を出していきたいと考えています。

枠組みは変わっても、変わらないもの

 しかし、枠組がどう変わろうと、山口県と呼ばれてきたこの地域の特性や、住んでいる人たちのアイデンティティが全く新しいものに変わるわけではありません。
 司馬遼太郎さんが長年にわたり「文藝春秋」に連載した「この国(クニ)のかたち」という随想がありますが、司馬さんは、本当は「この”土”のかたち」と書いて「クニ」と読ませたかったと聞いています。そして、その思いのとおり、この随想は、土地が発する「気」のようなものを考察することによって、日本人の本質に迫るものとなっています。
 私は、土とは一つの個性であり、それは、単に自然環境だけによってつくられるのではなく、そこに住む人間と地域社会がつくってきたものだと思います。だから、これからの「山口県のかたち」を考えるとき、まず、この土、つまり、山口県の個性は何かということをしっかりと見つめ直し、何を生かしていけるのかということ、そして、それをうまく生かすには、どのようにすればいいかということを常に念頭に置いています。冒頭にお話しした、「ふり返れば未来」、山口県の特性を見つめ、未来への指針を探るということです。
 山口県という土がやせていくことがないように、州なり、広域県になった場合も山口県のアイデンティティが失われることがないような、県づくりを今進めていくことが私の役割だと思っています。

山口県のDNA

 それでは、山口県の個性とは何か、後で、県の取組をお話する中で、具体的に触れることになりますので、ここでは、山口県の持っている特性や本質、いわばDNAといったものについてお話しします。
 まず、人材輩出県だということです。御承知のように、幕末、長州藩からは、吉田松陰はもちろん、奇兵隊をつくった高杉晋作、維新の三傑と言われた木戸孝允、日本陸軍の基礎を築いた大村益次郎などを輩出し、明治維新の立役者となりました。こうした明治維新の志士やこれまで7人の首相を輩出したことから、教育熱心な県、人材輩出県とよく言われます。
 また、現在の自民党幹事長や文部科学大臣も山口県の出身ですから、本県の人材の豊富さは分かっていただけると思います。
 次に、産業政策にも古くから熱心だったということです。1600年の関ヶ原の後、毛利家は120万石から37万石になったため、藩財政の運営は困難を極めました。このため、瀬戸内海で干拓事業を行ったり、「防長の三白(米、紙、塩)」の殖産政策を進めたりし、幕末には、実質は100万石となり、それが倒幕資金になったとも言われています。戦後は、瀬戸内海沿岸地域には、石油化学コンビナートが形成され、全国有数の工業県として発展してきました。産業構造は、セメント、化学等の基礎素材型に特化しており、製造業に占める基礎素材型産業の生産額の割合は70%近くと、全国で1位になっています。その反面で、サービス業等都市型産業が未成熟です。
 県民性はどうでしょうか。
 山口県民は、「情熱的」「理想主義的」、裏返すと、「純粋」だけど「観念的で、現実的でない」とよく言われます。維新に向かって突き進んだ長州の勢いには、情熱的に、理想を追求しようとする県民性が表れています。しかし、維新の志士たちが、諸外国相手に立ち向かおうとしたことを考えると、現実把握に欠けるところがあったというのは、当たっているのかもしれません。痛い目に遭わないと分からない、純粋というか、自分が信じてきたものを、そう簡単に捨てることができないということなのかもしれません。
 そういえば、きらら博の時に、県外のプロデューサーや広告代理店の方からこんな話がありました。「これまで多くの博覧会に関わってきたが、他の県なら、すんなり受け入れられる提案が山口県ではなかなかゴーサインが出ない。これで間に合うのかと心配になるほど、徹底的に議論された。しかし、議論し、一旦決めると、その実行する力、スピードには非常に速いものがある」と。綿密かつ論理的で、悪く言うと理屈好きだけども、組織力と粘り強さもあるということだと思います。利害を飛び越えてなりふりかまわず突き進むことは、奇兵隊で分かるように、長州人集団の特徴です。県の運命は自らの運命、きらら博を成功させた「自立」「協働」「循環」の土壌も、山口県にはすでにあったのかもしれません。
 山口県は、政治関係の人材ばかりが目立ちますが、文化人も輩出しています。冒頭に、中原中也の話をしましたが、個性的でユニークな文学者も出ています。放浪の俳人、種田山頭火。「おはん」を書いた宇野千代。そして、童謡詩人、金子みすゞ。この4人が登場した首都圏観光キャンペーン用の4枚綴りのポスターは、今年の観光ポスターコンクールで金賞を受賞しました。

山口県の政策の顔―「やまぐち方式」の取組

やまぐち方式とは

 こうした、山口県のDNAや個性を生かした「山口県ならでは」の事業展開として、山口県では、「やまぐち方式」という取組を進めています。
 山口県の個性や特性を生かした、独創的で、全国のモデルとなるような取組のことをこう名付け、重要な戦略と位置づけて、集中的、計画的に進めています。社会や経済がグローバル化、ボーダレス化していく中で、地域社会もその影響を否応なく受けるわけですが、こうした影響にふりまわされることなく、県民共有のキーワード「自立」「協働」「循環」という考え方を基本に、地域の総合力を高め、持続的発展が可能な社会経済システムを創造していこうというこの取組は、地域間競争に勝ち抜くための戦略でもあるとも考えています。
 現在、「やまぐち情報スーパーネットワークの推進」「ごみの資源化」「森・川・海の共生」「生涯現役社会づくり」「新産業の創造」「夢つなぐ学び舎づくり」「未利用資源の活用」「やまぐちの売コミ」と、8つの分野で、それぞれ、顔となる取組を進めています。

やまぐち情報スーパーネットワーク

 それでは、「やまぐち方式」の取組をいくつかご紹介しましょう。
 まず、「やまぐち情報スーパーネットワーク」です。私は、21世紀は「ブロードバンド社会」になると考え、21世紀のスタートにあたり、きらら博と並ぶもう1つの舞台として整備したのが、高速大容量の光ファイバー網「やまぐち情報スーパーネットワーク」(YSN)です。2001年7月、きらら博会場で式典を行い、運用を開始しました。当初は450キロでスタートしましたが、2003年度末には、総延長830キロになり、全国最大級の自設の光ファイバー網が完成します。
 ただ「光ファイバー、ソフトがなければ、只の線」です。このため、早くから、ソフト開発にも力を入れ、このファイバー網を活用して、携帯電話の不感地域を解消したり、電話料の低減化を実現するという、全国的にも先駆的な取組も行ってきました。
 そして、現在、構築を進めている代表的なシステムが、遠隔画像診断や遠隔病理診断の実施により、県内どの地域でも、安全で質の高い医療を提供できるようにしようというシステムで、2005年度には全県医療情報ネットワークが出来上がります。このネットワークの運営は、行政ではなく、地元山口大学の医学部と県医師会が中心となったNPO法人が行い、保健・医療・福祉関係者間での情報交換の円滑化などネットワーク活用をサポートするという、全国的にも例のない総合的なシステムになります。
 このほかにも、様々な取組をしておりますが、今後、このネットワークの活用を、公から民へとできるだけ拡大し、ソフト面での情報基盤を強化していきたいと考えております。

ごみの資源化

 次に、環境面での「やまぐち方式」です。
 21世紀は環境の世紀と呼ばれ、環境への取組はどこの県も熱心にされていますが、一般廃棄物や産業廃棄物の処理といった、ごみ問題は本当に深刻な問題になっています。
 先ほど、山口県は全国でも有数のセメント、化学等の基礎素材型産業に特化した産業構造になっていることを申し上げましたが、この産業特性を活かして、ごみの資源化に取り組めないか、産業界、大学などの研究機関、そして行政にNPOなど公的な存在を加えたパブリックな部門の三者、いわゆる産・学・公が連携・協働して検討してきました。その結果、現在、次の3つの取組をしております。
 一つがゴミ焼却灰をセメント原料として使う取組です。
 市町村で出る家庭から出る一般ゴミの焼却灰は年間約5万トンあり、そのほとんどが埋立処分となっていましたが、昨年の4月から、県内全域から出るゴミの焼却灰を普通セメントの原料にリサイクル利用するという事業を民間ベースでスタートさせました。これで、本県では埋立処分される一般ゴミの焼却灰はゼロになりました。
 また、廃プラスチックをガス化し、アンモニア等化学製品の基礎原料とする国内初のリサイクル技術も開発され、関連会社が一昨年7月に操業開始しています。
 さらに、ペットボトルのリサイクルですが、繊維の原料として再利用するところまでは他地域でも取組まれていますが、この11月から、県内の化学企業のご協力で、使用済みのペットボトルから新しいペットボトルを再生するという、世界初の事業がスタートします。
 これらのごみの資源化の取組は、お互いに、持てる能力、知恵を出しあうことによって、環境産業として新たな展開、活性化ができるというモデルだと思いますし、山口県としては、産業特性を生かしながら、環境産業の集積に結びつけていきたいと考えています。

未利用資源の活用

 また、こうした廃棄物の資源化の成功をきっかけに、私は、これまで活用されずに、捨てられたり、放置されていたものはもっとあるのではないか、技術開発や規制緩和を進めたり、発想を変えれば、こうしたものが新たな資源となるのではないかと考え、今年度から、「やまぐち方式」として未利用資源の活用を積極的に進めることにしました。
 その一つが「水素」の活用です。周南コンビナート内のソーダ工場では、製品を製造する際に水素ガスが発生しており、その生産量(副生量と言いますが)は、全国の約3割を占めています。
 御承知のように、水素エネルギーは、燃料電池など次世代のエネルギー源として注目を集めています。効率もよく、環境にも優しいため、自動車の動力用電源、家庭用やポータブルの電源、大規模発電設備、そしてオフィスビルや病院の熱供給システムなど多岐にわたる利用が期待されています。周南の副生水素は、現在、約6割がボイラーの燃料として焼却処分されていますが、これを燃料電池の原料として活用すれば、自動車28万台分の年間燃料消費量を賄えることになります。ちょうど先週から、燃料電池自動車が山口県のさまざまな自然条件や道路状況の中でどのように走るかといった、走行実験を実施したところであり、今後広い分野での水素の利活用の検討を進め、「水素フロンティア山口」をめざすこととしております。
 また、もう一つの未利用資源が森林資源です。山口県は、県土の7割が森林です。京都も竹が多いことで有名ですが、山口県の竹林面積は鹿児島県に次いで全国第2位です。この竹はものすごく成長が早く、手入れが行き届かないと山が竹に浸食され、森林の荒廃を招いてしまいます。計算してみると、1年間に森林の適正な管理の過程で生じる、間伐材や竹材などの未利用の森林資源は約30万トンもあり、石油に換算すると約11万キロリットル、これを全量発電に活用した場合、約7万世帯の年間電力消費量に相当します。これを、「バイオマスエネルギー」として活用すれば、石油等の化石燃料と違って再生が可能ですから、二酸化炭素の増加のない、環境に優しいエネルギーとなります。また、うまくシステム化すれば、森林の適正な育成を促進し、地域産業や雇用の創出を通じ、中山間地域の活性化にも大きく貢献し、その効果は計り知れません。現在、火力発電所で石炭と混ぜて燃やしたり、ガス化して発電・発熱させたり、さらには、熱として供給しようというシステムの実用化に向け、産学公の協働で進めており、今年8月には、日本で初めてのガス化発電・発熱システムの実証プラントをスタートさせました。私は、今後とも、山口県の特色を生かした新たなエネルギー源として、森林バイオマスの利用等を積極的に進めていくつもりです。

新産業の創造による雇用の創出

 新産業の創造にも、「やまぐち方式」で取り組んでいます。
 山口県は、何度も言いますように、基礎素材型産業に特化した産業構造になっていますので、雇用吸収力がどうしても弱く、加工組立型へ産業構造を転換高度化することが課題となります。しかし、国内産業がとかく空洞化していると言われている現状では、新たな企業の立地は大変厳しい状況にあります。また、中核都市もないため、サービス産業が思うように育ちません。
 そのような中、大学発ベンチャーや産学公の連携など、新技術や高度な知識を軸に、創造的・革新的な経営を展開するベンチャー等の起業や新しい事業展開の促進も積極的に進めていますが、山口県では、女性や学生の起業の促進に特に力を入れています。
 全国に先駆け、平成4年から始めた女性起業家支援塾は、現在までに1100人あまりの卒業生を送り出し、この中から、200人近い起業家が誕生しています。
 また、学生の起業も盛んで、ユニークなところでは、山口大学の学生が中心となった「学生耕作隊」というNPO法人が、県内農業の活性化や新規農業参入の促進をめざして、事業型NPOとして成長しています。興味のある方は、ホームページを御覧になってみてください。
 さらに、コミュニティビジネスという新たなビジネス形態にも注目しています。京都においても、コミュニティビジネスの起業に助成をするなど力を入れておられるようですが、山口県では、地域のニーズを起業化にまでつなげることのできる指導者を育成していこうという視点で、2002年度から「コミュニティビジネスカレッジ」を開催しています。このカレッジには、若者から高齢者、さらには県外からも受講生が集まり、熱心に起業や経営ノウハウを学んでいます。

新たな山口県のかたち

「やさしさ」と「ぬくもり」と

 以上、社会経済のグローバル化や地域間競争の激化に対応するための「やまぐち方式」の取組についてお話しましたが、私は、現在、世の中は、競争、そして、それに生き残るための効率性重視の価値観が優先されすぎているように思います。こうした考え方重視で、ものごとを進めていきますと、社会に様々なひずみが生じてきます。
 数年前からBSE問題が起きてきましたし、食品の虚偽表示問題もありました。また、輸入農産物の残留農薬の問題、さらにはリストラの問題などがそうです。そして、最近では、工場の火災や爆発事故などが起きています。本来、こうした施設は安全管理を最優先していたはずです。
 しかし、効率性や合理化などが優先され、一義的、表面的な評価を気にしすぎてきた結果、ほころびが生じてきた、つまり、「基本を守る」という一番大切なことが見過ごされたか、あるいは、二の次になっていたのではないかと思います。あまりの効率性の追求は、基本的なことを忘れる価値観がはびこることにもなりかねません。
 それでは、これからの地域社会づくりの基本となる視点は何でしょうか。競争に努力も当然にしていかなければいけませんが、地域社会はというのは人々が生活する空間です。「ゆとり」や「やすらぎ」なしには、人間は暮らしていけません。
 ですから、私は、安全・安心重視の「やさしさ」や「ぬくもり」が感じられるような社会というものをつくり上げていくことが大切であり、これを基本にすべきであると考えています。
 そのような視点から、地産・地消と少子高齢化の問題について、お話してみたいと思います。

地元を愛する心が育てる地産・地消

 まず、地産・地消についてです。最近は、多くの地域で進められておりますので、よく聞かれる言葉だと思いますが、「地産・地消」とは、「地域生産地域消費」の略語で、「地域で採れたものを地域で消費しよう」という意味です。
 現在、山口県でも、県産農産物の「販売協力店」の要請、外食産業におけるモデル店の設置、学校給食での米、大豆、小麦の一体的な利用などに取り組んでおります。また、私も、TVコマーシャルにも出演し、地産・地消の推進に、文字通り一役買っています。地産・池消は、もちろん、「食の安全・安心」という消費者ニーズへの対応もありますが、私は、こうした取組を通じて、何とか農林業や農地を守っていきたいと思っています。
 農林業は多面的な機能を持っています。県土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承等の問題は、農林業に従事している人たちだけのことではなく、山口県に住む者にとって、極めて重要なことだからです。
 多面的な機能が失われた場合の損失は、計り知れないものがあります。他県の例ですが、この7月の集中豪雨で、土石流により多くの方がなくなりました。森林の手入れが行き届かなくなると、木の密集で根が十分張らず、太陽光も届きにくくなるので、下草も茂らない、そうすると、土壌がもろくなり、崩れやすくなります。また、農地が荒れると、保水力もなくなります。
 山口県は、平地が少なくて、一戸当たりの耕地面積が狭い「中山間地域」が多いという厳しい条件の中で、農林業が行われているだけに、それを支えていくためには、農地が単に農産物を栽培するだけの場所ではないことを理解し、県民あげて、自分たちの身近なテーマとして、維持する方策を考えていかなければなりません。
 今、外国から様々な野菜が安く入ってきます。地元で採れたものが高くとも、それは「豊かな自然環境・生活環境を守る費用」であると考え、地元を愛する心として、みんなが地産・地消の取組を応援していけば、地域内に「好循環」「心の循環」をつくりあげることができると考えています。そういうことを、これから大切にしていかなければならないのです。

夢が持てる子育て環境の整備

 次に、少子化対策についてお話します。
 さきほど、山口県の人口減少の要因として、若い人たちが県外に出ていってしまうことが挙げられる、そして、「20歳~39歳」の女性の割合が低いため、結果的に出生率も42位という低い順位になっているとお話ししました。このことは、山口県の場合、極端に少子化が進行することを意味します。
 子供が少なくなるということは、地域社会の活力の低下に繋がりますし、子どもたちの健やかな成長にも大きな影響を与えるなど、社会全体に深刻な影響を与える重大な問題であり、私としても、極めて頭の痛い問題になっています。
 ただ、子どもを産むかどうかは、個人や家庭の問題ですから、行政が直接踏み込むべきことではありませんので、山口県としては、子供を生み、育てる環境づくりを進めることにより、少子化対策にも効果が発揮できたらと考え、様々な対策も行っています。
 例えば、子育ての経済的支援については、乳幼児医療費助成制度の拡充や保育料軽減対策など、全国でもトップクラスの水準になっていますし、教育についても、小学校1・2年の多人数学級への補助教員の配置や全校を対象とした中学1年の35人学級編制、また、中学校での教科担任制にスムーズに移行できるよう、小学6年に一部教科担任制を入れるなど、早い時期から、全国に先駆けた取組をしています。また、50箇所(2003年度現在)ある「地域子育て支援センター」を、市町村と連携しながら、2005年度までに100箇所に増やす計画ですし、将来的には概ね中学校区に1箇所整備したいと考えています。
 この子育て問題については、来年度の予算においても、引続き、子育て・教育対策を緊急・重要課題として取り組み、県民が夢を持って子どもを育て、次世代に夢をつなぐことができるような、「やさしさ」と「ぬくもり」のある生活環境を創りあげていきたいと考えています。

生涯現役社会づくり

 また、私たちは高齢社会の到来ということにも、しっかりと向き合っていかなければなりません。
 高齢者が住み慣れた家庭や地域で、できる限り自立し、安心して暮らせる社会を実現するためには、自分たちや家族でできることは自分たちで行う「自助」を基本に、個人が社会の一員としてお互いに助け合って問題を解決する「共助」、どうしてもできないことは公が行なう「公助」という考え方が必要になると、私は考えています。この「共助」「公助」は、人が、地域が「支え合う」、「協働」するということです。そのためには、人を「いたわる」という気持ちが大切であり、「やさしさ」や「ぬくもり」といった視点が欠かせません。
 こうした視点に立った取組と同時に、新たな視点で、高齢社会に対応できる社会システムづくりを「やまぐち方式」で進めてきました。それが「生涯現役社会づくり」です。
 山口県の高齢化率が高いことは、お話しましたが、瀬戸内海の周防大島の東和町の高齢化率は50.6%と、全国ベスト1です。これをベストというべきかどうかは、いろいろ議論があるかもしれませんが、私は敢えてベストだと言っています。
 ここでは、60代の方が自分達のことをさして、「私たち若い者は」と言ったり、70歳を超えた方が、「老後も元気でいられるように今頑張っている」と言うお話をされます。つまり、お年寄りが、とても元気なのです。しかも、現役で、農業や漁業をしたり、新たな特産品を開発したり、とてもパワフルで、老人同士お互いに助け合いながら、老後ではなく現役で生き生きと過ごしています。
 私は、この周防大島をモデル地域にして、ITを活用した「電子見守りネット」の構築や、都市住民など島外のエネルギーの活用も進める交流のシステムづくり、さらには、今後の島づくりを担う人材の養成など、生涯現役社会のシステムづくりに取り組んできました。この成果を検証し、全国発信する仕組みとして、現在、山口県立大学を活用した「生涯現役社会学会」の設立を検討するなど、全国より10年早い、高齢社会に対応できる社会システムづくりに向けて積極的に取り組んでいます。

住み良さ日本一の県づくり

 以上、安全・安心重視の視点から、地産・地消と少子高齢化問題に絞ってお話しました。
 「山口県はどんな県ですか」と聞かれると、私は一番困ります。教育県、工業県、観光県、3方を海に囲まれた水産県でもあります。また、環境にも力を入れていますから環境県でもあります。多彩でバランスのとれた県なのです。
 逆に言うと、「これです」と言える秀でたものがないということかもしれませんが、私はこういう多彩な顔に着目し、「総合的に住みやすさは抜群ですよ」と言える県にしたいと思っています。もちろん今でも山口県は大変住み良い県だと私は思っていますが、この住み良さに磨きをかけて、、「住み良さ日本一」を私は目指していきたいと考えています。
 さきほど少しご紹介しました「金子みすゞ」は、今年、生誕100年を迎え、長門市に記念館ができました。今、記念館には全国から多くの皆さんが訪れています。今日は詩の紹介はしませんが、みなさん、ぜひ読んでみて下さい。繊細で、やさしさにあふれ、温かい「みすゞ」のまなざしが、我々が忘れているもの、忘れかけている「心」を呼び起こしてくれるものと思います。
 本当の住み良さには、「やさしさ」や「ぬくもり」があるはずです。私は、「金子みすゞ」の詩の中に、これからの社会づくりのヒントがあるような気がします。

新たな山口県のかたち

 私がめざす、新しい時代の「県のかたち」は、人間生活の基本となる「やさしさ」や「ぬくもり」という価値を重視しながら、グローバル化の中にあっても、埋没することなく、地域として新たな価値を創造し、しっかりとした存在を主張できる地域社会、山口県です。
 ですから、その社会は、競争の促進や効率性の追求を進め、その競争に破れた人にはセーフティネットを用意しておくという効率優先の社会ではありませんし、グローバリゼーションを全く否定し、現状のまま安住する非効率的な社会でもないはずです。
 「創造」という生産からの視点と、「ゆとり」という生活の視点が、調和したところに、本当の住み良さがあるのだと思います。そして、住んでいる県民自身が、山口県の住み良さを実感し、元気と自信を持つことにより、また新たな山口県の個性が生まれていくのだと思っています。

県民総参加による山口県の売込み

 最後に、今年から「やまぐちを売込む」ことを「やまぐち方式」の一つとして追加しましたので、私も、「売込み」、特に、観光の売込みをして帰りたいと思います。
 この10月からは、新幹線「のぞみ号」が、小郡駅から名称を変えた、新山口駅と徳山駅に、それぞれ上下12本、4本停車することになり、関西地域との距離も一段と近くなりました。
 また、NHK大河ドラマ「武蔵」の決闘地、下関の「巌流島」、現在架け替えを行っている小次郎「燕返し」の岩国の錦帯橋、生誕100年を迎えた「金子みすず」の記念館など、山口県には旬の観光スポットが豊富です。みなさん「そうだ山口へ行こう」と思い立ったら、気軽に訪れていただきたいと思います。
 さらに、今年は、山口県を舞台とした映画も3本出来上がりました。その一つは、すでに公開されている『ロボコン』という映画で、周南市にある徳山高等専門学校が舞台です。それから、来年公開される、『ほたるの星』は、指揮者、小澤征爾(セイジ)さんの長男・小澤征悦(ユキヨシ)さんが主演をされていますが、萩、柳井市など県内各地でロケが行なわれました。韓国と下関の高校生の淡い恋を描いた『チルソクの夏』という映画もあります。
 これをご縁に、こうした映画も、ぜひ御覧いただき、山口県の魅力に触れていただきたいと思います。

おわりに-きららスピリットで「前」へ

 きらら博の成功で、県民は、山口県はやればできるという自信を持っています。山口県も、他県と同様、極めて厳しい財政状況の中、様々な難しい課題に取り組まなければなりませんが、私は、あのきらら博を成功させた力、「きららスピリット」を、県民挙げて発揮すれば、かならず道は開けてくると信じています。
 これからも「ふり返り」つつ、「未来」へ向けて、「前へ」「前へ」と走り続けていけば、必ず、山口県はすばらしいものになるのだ。そういう思いで、私も全力で取り組んでいきます。同時に信頼が一番大事です。価値観が多様化していますから、個別のケースではいろいろな考え方の違いがあっても、彼がやれば安心である、そのような関係を県民の皆さんと県の間でつくりあげていく、「信頼」を基本にしながら、中長期的な視点に立ちつつ、すばらしい山口県にする努力をしていくつもりです。
 御静聴ありがとうございました。

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