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トップページ > 組織から探す > 港湾課 > PORTS OF YAMAGUCHI > PORTS OF YAMAGUCHI・下関港の概要

平成21年 (2009年) 9月 9日

港湾課

下関港写真

下関港の概要                            

 

 関門海峡を挟んで九州に近接し、大陸へ最も近い下関は、海陸交通の要衝として早くから開け、日本の歴史とともに発展してきました。 商業・港湾都市として著しい発展を遂げたのは、特に徳川時代に入ってからで、毛利氏の統治下で培われた北前船による諸国物産の集散地としての性格は、今日の下関港を形成する基礎となりました。

 明治時代に入り関門、関釜両連絡船の基地が置かれるとともに大陸方面や台湾などとの貿易港になり、明治32年(1899)に関税法に基づく第一種港湾に指定されて一般開港場となりました。

 その後、大正から昭和初期にかけて港湾施設の整備が進み、おおよそ今日の下関港の姿が完成したところです。太平洋戦争後は、大陸貿易の途絶、関門トンネルの開通などから連絡港としての性格は薄くなりましたが、昭和45年(1970)に再開された関釜航路は、わが国最初の国際定期フェリー航路として脚光を浴び、昭和63年(1988)には下関港国際ターミナルが完成し、また、昭和55年(1980)に始まった中国青島航路フェリーは、平成10年1月から定期航路となるなど、大陸への窓口としての役割はますます大きくなっているところです。

 

 港湾整備は、昭和34年に完成した第2突堤工業用地をはじめ、福浦木材港の整備、長府整備工業地帯の開発等工業港としての整備も逐次進められ、昭和48年には荒田ふ頭、細江ふ頭、昭和53年には岬之町ふ頭、昭和63年には西山ふ頭、平成3年には本港地区の再整備が完成しました。平成4年(1992)に岬之町コンテナターミナルが完成し、韓国南星海運㈱のコンテナ船によるデイリーサービスが開始され、平成6年(1994)1月には、釜山港を中継して、中国、北米、欧州などへ航路が開始されました。また、平成4年(1992)に長府臨海工業地帯前面に長府ふ頭(一期工事)が完成し、平成8年(1996)3月からECL㈱による北米西岸定期航路が開設され、平成10年2月から始まった協和海運(株)による東豪州航路は、9月からパプアニューギニア航路を含めたルートとなりました。

 さらに、北浦海域・垢田沖合の新港地区において東アジアとの総合的な交流の場を形成するための沖合人工島整備事業の早期供用開始に向けて整備を進めています。

 一方、関門海峡に面した東港地区においては、その優れた自然と景観を生かしたウォーターフロントの再開発事業(あるかぽ〜と下関)を推進しており、平成13年(2001)4月に、海洋環境・自然科学体験施設(海響館)が完成し、下関港の主要な集客施設として大きな役割を果たしています。

 


下関港のグラフ


■沿革

 

江戸時代 北前船による諸国物産の集散地として活況を呈す。

明治 32年(1899) 赤間関港(現下関港)が関税法に基づく第一種港湾に指定。(開港)

大正 3年(1914)  豊前田町に関釜連絡船の基地が設置。

10年(1921)    第一期修築工事に着手。

昭和 12年(1937) 第二期修築工事に着手。

26年(1951)    関門港として特定重要港湾に指定。

45年(1970)    関釜連絡船再開

55年(1980)    中国・青島航路フェリー就航

58年(1983)    関釜連絡船毎日就航

63年(1988)    下関港国際ターミナル完成

平成 4年(1992)  岬之町コンテナターミナル整備

6年(1994)    輸入促進地域(FAZ)に指定。

7年(1995)    日本の港湾では初めての年中無休通関が始まる。 新港地区沖合人工島事業に着手

11年(1999)    開港100周年を迎える。

13年(2001)    あるかぽ〜と下関に「海響館」がオープン

15年(2003)    新港地区沖合人工島の町名が「長州出島」に決定

 


≪PRポイント≫

・日本最大の国際フェリー基地(3航路11便)

・スピーディーな検査体制(年中無休の通関など)

・良好な交通アクセス(鉄道、高速道路国内フェリー航空)

 

本港地区

岬之町地区

西山・荒田・福浦地区

長府地区

東港地区

新港地区・新港地区沖合人工島