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企業局の概要/組織概要・企業局のあゆみ

ページ番号:0025957 更新日:2021年11月1日更新

山口県企業局は、電気事業及び工業用水道事業の2事業を経営する地方公営企業として、昭和40年(1965年)に発足しましたが、山口県による電気事業の開始は大正13年(1924年)、工業用水の供給開始は昭和15年(1940年)にさかのぼります。

電気事業

山口県電気局の発足

山口県では、将来の工業の発展のため、大正13年(1924年)山口県電気局を発足させ、県下の電気会社の統合、県営化を進めました。当時は県営電気事業としては全国一の規模でした。また同年、山口県営初の水力発電所として錦川第1発電所を運転開始しました。
全国では、明治24年(1891年)に京都市が蹴上発電所(水力発電)により発電開始したのが、公営による電気事業の始まりです。

山口県電気局の解散

国が全国の電力を管理することになり、昭和17年(1942年)山口県電気局を解散し、施設は中国配電(株)(現中国電力(株))が引き継ぎました。

山口県営電気事業の再開

昭和28年(1953年)に、河川総合開発事業の一環として電力開発に取り組むため山口県営電気事業(土木部所管)を再発足させました。昭和30年(1955年)に木屋川発電所、翌年佐波川発電所を運転開始しました。

木屋川発電所

山口県企業局の発足

昭和40年(1965年)に山口県企業局が発足しました。
同年、菅野発電所外2発電所、昭和50年(1975年)、山口県営最大規模の新阿武川発電所を運転開始した後、2度のオイルショックを背景とした中小水力開発の促進によりさらに4発電所を加え、現在10発電所により発電しており、中国電力(株)を通じて一般家庭や工場にクリーンエネルギーが供給されています。

工業用水道事業

県営工業用水の供給開始

山口県では、地形が比較的険しく、河川が急で短いものが多いことから、自然のままで利用できる河川が少ないので、工業基盤を整備するため、戦前から電力や工業用水の開発を目的として、県下各主要河川にダムが築造されてきました。昭和15年(1940年)、向道ダムが完成し、工業用水を徳山地域に供給開始しました。
公営の工業用水としては、昭和14年(1939年)に川崎市が開始したのに続き、山口県は全国で2番目となっています。

県営工業用水道事業の発展

戦後の急激な重化学工業の発展に対応し、昭和21年(1946年)の木屋川工業用水道を始め、昭和25年(1950年)には厚東川工業用水道の供給を開始しました。
昭和34年(1959年)工業用水道事業法の制定により、県営工業用水道事業が発足した後、昭和35年(1960年)小瀬川工業用水道、昭和38年(1963年)川上工業用水道と、相次いで供給を開始しました。

山口県企業局の発足

昭和40年(1965年)、工業用水道事業と電気事業を経営する山口県企業局が発足しました。
周南、防府地域を始め瀬戸内地域の重化学工業振興のため、昭和41年(1966年)周南工業用水道、翌年佐波川工業用水道、昭和46年(1971年)柳井川工業用水道の供給を開始し、その後既存の工業用水道において上流ダムの築造等による給水能力の増強を図ってきました。

高度・広域的な水源開発

新たな水源開発のためのダム等の建設適地は減少しましたが、高度成長時代の水需要に応えるため、既存ダムの隣に副ダムを築造し既存ダムとパイプで結んで貯留水を確保する方式や、既存ダムの嵩上げと複数河川からの相互取水による方式など、高度な水源開発により、昭和54年(1979年)厚東川第2期工業用水道、昭和56年(1981年)富田夜市川工業用水道の供給を開始しました。
また、平成12年(2000年)には、広島県との県境の弥栄ダムから約40km離れた柳井地区まで広域的に工業用水を供給する小瀬川第2期工業用水道の供給を開始し、現在14事業、総給水能力約171万m3/日と、全国1位の規模となっています。

周南工業用水道事務所管理センター

経営健全化の取組

近年では、工業用水道の水源となるダム等の開発適地が減少化、遠隔化して、供給開始まで長い年月を必要とし、事業費も増大してきました。また、工場等で水を再生処理して繰り返し使用するなど水使用の合理化が進み、工業用水の需要が伸び悩んできました。
このことから、山口県企業局の工業用水道事業の経営が悪化しましたが、工業用水利用者の理解と協力のもと、経営の健全化に取り組むとともに、工業用水の安定供給に努めています。