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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

栄華を極めた大内氏/大内文化



室町時代、
山口を拠点に北部九州や中国地方を中心に西国一の勢力を誇り、
約200年に及ぶ栄華を築いた守護大名・大内氏。
大内氏が庇護した室町文化は時を経て受け継がれ、
今や日本が誇る貴重な文化遺産となっています。
大内氏の文化保護の精神が果たした役割を紹介しましょう。



1.西国一の勢力と諸国の信仰・文化の保護

大内氏の約200年に及ぶ栄華は、大内弘世(ひろよ)が南北朝時代の14世紀半ば、周防国に次いで長門国を手中にして現在の山口県を統一後、南朝方から北朝方へ転じ、両国の守護に任じられたことに始まります。

その後、西国一の勢力へと拡大する中、大内氏は長く修復されずにいたその地の代表的な神社を復興していきます。それらの復興は、新たな地での力の誇示とともに人心の掌握にもつながり、長門国では、弘世が1370(応安3・建徳元)年、下関の長門一宮「住吉神社」を修造。九間社流造りという珍しい形式の弘世造営の本殿は現在、国宝に指定されています。


住吉神社

住吉神社

大内義弘(よしひろ)が勢力下に置いた豊前国(福岡県東部・大分県北部)では、日本三大八幡宮の一つ「宇佐神宮」(大分県宇佐市)を手厚く保護し、大内盛見は3つの社殿を復興しています。 筑前国(福岡県西部)では、大内義隆(よしたか)が1546(天文15)年、やはり日本三大八幡宮の一つである「筥崎宮」(福岡市)の本殿・拝殿を建立。義隆建立の本殿は今、国の重要文化財に指定されています。 安芸国(広島県西部)では、「厳島神社」(広島県廿日市市)の象徴、海に浮かぶ大鳥居のない状態が続いていた中、義隆が1547(天文16)年に再建し、大鳥居に掲げる後奈良天皇宸筆の扁額も奉納しています。義隆再建の大鳥居は現存しませんが、現在の四脚鳥居の形はこの時始まったものです。


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