ここから本文

トピックパス
  1. トップページ
  2. 山口ブランドストーリー
山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

2.日本を夢見たサビエルの異文化を受け入れた 大内氏の山口

石見国(島根県西部)も大内氏の勢力下にあり、ユネスコの世界遺産「石見銀山」(島根県大田市)も大内氏と深い関係があります。江戸時代に書かれた『銀山旧記』には、大内弘幸(ひろゆき)が北辰星の託宣によって銀峰山の頂で輝く銀を発見したという縁起の伝説のほか、1526(大永6)年、大内義興(よしおき)のとき、博多商人の神屋寿禎(かみや じゅてい)が石見沖を航行中、山の輝きに気付き、あらためて銀を採掘し始めたことが記されています。

寿禎の名は、大内義隆主催の1538(天文7)年出発の遣明船が3年後、博多に帰着時、遣明船副使を務めた天竜寺の僧・策彦周良(さくげん しゅうりょう)に酒を持参した人物として『策彦入明記』に記されています。

寿禎が1533(天文2)年、銀の精錬に灰吹法を導入して銀の大量生産を引き起こすと、そのことは海外へ伝わり、1561年にヨーロッパで作られた地図には、日本の石見銀山の辺りにポルトガル語で「銀の島」と記され、ヨーロッパに日本への憧れを生むきっかけとなりました。筑前の商人と石見銀山。どちらも大内氏の支配下にあり、大内氏の存在があったからこそ結び付き、世界に日本への憧れを生むことになったのかもしれません。


聖フランシスコ・ザビエル像

聖フランシスコ・ザビエル像
神戸市立博物館蔵

日本への憧れはキリスト教宣教師サビエルの来日にもつながります。サビエルは山口を経て、京都へ。しかし、応仁の乱で荒廃した都に失望し、1551(天文20)年、山口を再度訪れます。サビエルは大内義隆に大時計や火銃・楽器・望遠鏡などを寄贈すると喜ばれ、布教を許可されます。それを受けて山口で始めた布教は仏僧との討論などを通じて人々の関心を高め、わずか2カ月で500人が洗礼を受けたといいます。

さらなる布教を目指してサビエルが大分へ去った後、山口では大内氏の重臣・陶隆房(すえ たかふさ)によるクーデターが起き、義隆は山口を追われ、長門大寧寺で自刃します。その後、陶氏によって当主として擁立された大内義長も、トルレスの布教を保護。1552(天文21)年には、山口で日本初のクリスマスのミサが行われ、1555(弘治元)年には信者は約2000人にも達したといいます。異国の文化も積極的に受け入れる進取な風土が当時の山口で育まれていたのかもしれません。


このページの先頭へもどる