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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

3.国際的視野を持ち、
百済の王の子孫と名乗った異色の大名

中国・朝鮮半島と日本との交流を見ると、平安時代の遣唐使などの廃止以降も、民間の貿易は続いていました。しかし、14世紀半ば以降、中国や朝鮮半島沿岸で倭寇による大規模な被害が問題となります。

その対策として、中国の明は、室町幕府の足利義満を日本国王として国交を開き、勘合貿易を開始。一方、朝鮮王朝は、幕府以外にも平和な貿易を望む諸大名や豪族、商人に貿易を許すことで倭寇対策とします。

そうした中、大内義弘は倭寇鎮圧に貢献し、朝鮮王朝から信頼を得ます。また、多くの大名はルーツを源平藤橘に求めた中、大内氏は百済の王の子孫だと朝鮮王朝に述べた異色の存在で、朝鮮王朝が日本からの船が増大したため、貿易を統制策へと転じても、大内氏は優遇され続けました。

朝鮮王朝からの最大の輸入品は、大蔵経でした。当時、日本に大蔵経の板木はなく、大内氏は朝鮮半島でも貴重だった7000巻に及ぶ高麗版大蔵経の輸入を数多く実現させ、西国各地の寺院に納めています。今、韓国の海印寺に大蔵経の高麗版板木が現存し、その収蔵庫はユネスコの世界遺産となっており、大内氏の文化輸入のスケールの大きさを教えてくれます。

明との勘合貿易は朝貢形式だったため、日本側にとっては多大な利益を得るものでした。その実権は幕府の手から移り、やがて「大内氏と支配下の博多商人」対「幕府管領細川氏・堺商人」との間で争われ、大内義興(よしおき)のとき、1523(大永3)年の寧波の乱後、大内氏が独占します。

明への主な輸出品は刀剣、硫黄、漆器など。漆器作りの技は山口で受け継がれ、現在「大内塗」として国の伝統的工芸品に指定されています。輸入品は銅銭や絹織物など。大内義隆が明に注文したと伝わる「大内菱文金襴」などは今も寄進された各地の寺社などで所蔵されています。

紙本墨画淡彩四季山水図 雪舟筆

紙本墨画淡彩四季山水図 雪舟筆

また、画聖雪舟が、大内教弘のころ、京都から山口へ移り、第12回遣明船の大内船で水墨画の本場・明へ渡って修業したことはよく知られています。雪舟は帰国後しばらしくして山口に戻り、16メートルにもわたる国宝「四季山水図巻」(防府市)など数多くの水墨画を制作。雪舟は作庭も手掛け、「常栄寺庭園(雪舟庭)」(山口市)は雪舟作といわれています。


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