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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

7.室町文化を代表する伝統芸能と
大内氏の関係

鷺の舞

鷺の舞

大内氏は神事や祭り、芸能も尊んでいました。大内弘世が都から山口に勧請して造営した「八坂神社」では、それにまつわる祭りや神事も後に都から導入し、都で途絶えた後も山口では脈々と受け継がれてきました。それが現在、山口県指定民俗文化財となっている「鷺の舞」です。

室町時代に完成した幽玄な能や狂言も大内氏は庇護・愛好し、出陣先でも都から能楽師を召して上演していました。特に応仁の乱などで都が荒廃すると、能楽師は有力な守護大名のいる地方へ。能の大成者・世阿弥の娘婿で世阿弥没後さらに能を発展させた金春禅竹も山口へ下向したと考えられ、大内教弘(のりひろ)から求められて「五音十体」を著作して贈っています。 あの世とこの世をつなぐ演目が多い能。大内氏と能には、不思議な因縁があります。武勇で知られた大内盛見の死去については、筑前国で能を見物中に敵方に取り巻かれて切腹したという風聞が当時都に届いたこと。大内持世(もちよ)が将軍足利義教に従って赤松満祐の宴に臨席して能を観賞していた最中、将軍が暗殺され、持世もその時の重傷がもとで死去したこと。そして歴代中、最も高い位を手にし、栄華を誇った大内義隆の時には、能が一層盛んとなり、1551(天文20)年、陶隆房らのクーデターが起きた2日前にも大内氏館では能が上演されていたといいます。

大内氏が庇護し、愛した能。それは今や世界の演劇人に影響を与えるほど高く評価され、ユネスコの無形文化遺産に指定されています。



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幕政に影響を及ぼすほどの力を誇った西国一の守護大名、大内氏。その目は京都だけでなく東アジアやヨーロッパへも向けられた国際的なスケールを持った大名でした。今も大内氏の文化遺産は、山口県で大切に継承されて文化的風土をはぐくむ礎となり、国内外でも室町時代の貴重な文化遺産として接することができます。戦乱の絶えない世にありながら、古くからの文化を200年以上も保護しつつ、国内外の新しい文化も積極的に受け入れた大内氏の一貫した文化受容の精神風土は大変誇るべきものであり、この精神があったからこそ、「大内文化」と形容される素晴らしい文化が花開いたと言えるでしょう。



【主な参考文献】
・山口県『山口県史 史料編 中世1』1996
・山口市『山口市史 史料編 大内文化』2010
・岸田裕之編『毛利元就と地域社会』2007
・島根県教育委員会編『石見銀山関係論集』2002
・上野洋子「大内家にみる分国統治とキリシタン布教について」『中国大名の研究』1984
・須田牧子「中世後期における大内氏の大蔵経輸入」『年報中世研究』32巻 2007
・山口県立美術館『室町文化のなかにみる大内文化の遺宝展』1989
・米原正義『戦国武将と文芸の研究』1976
・尾崎千佳「宗祇の再度山口下向 『宗祇山口下着抜句』をめぐって 」『やまぐち学の構築』第4号 2008
・京都文化博物館『源氏物語千年紀展〜恋、千年の時空をこえて〜』2008



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