ここから本文

トピックパス
  1. トップページ
  2. 山口ブランドストーリー
山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

幕末〜改革のエネルギー〜



幕末維新に大きな役割を果たした山口県。
長州で生まれた改革のエネルギーが、人を動かし、藩の枠を超え、
日本の歴史を突き動かしていったストーリーを紹介しましょう。



1.萩藩改革の足がかりをつくった毛利重就と撫育方

幕末維新に大きな役割を果たした萩藩。その足がかりをつくったのは藩主・毛利重就(もうりしげたか)といえるかもしれません。


毛利重就像

毛利重就像

重就は現在の下関市の多くを領地とした長府藩主の子として生まれ、1751(宝暦元)年に萩藩主となりました。そのとき萩藩の負債は銀約3万貫に達しており、さらに増え続けたことから、重就は藩政改革を断行します。検地を行って得た増高約4万石を財源に、瀬戸内海沿岸を塩田などに干拓したほか、藩の通常会計とは切り離した別途会計の「撫育方(ぶいくかた)」を設置。西廻り航路の発展を背景に伊崎(下関市)・中関(防府市)・室積(光市)に港を整備し、他国廻船へ銀の貸付・倉庫業を行う越荷会所(こしにかいしょ)や長州米の販売を行う米蔵を設置するなど、さまざまな経済振興策を実施します。

また、茶の湯や芸能などを愛好した藩主・毛利重就。港町の振興のため芝居興行を許可したり、藩校「明倫館」などの教育の振興に力を入れたりとさまざまな面で足跡を残しました。
瀬戸内海沿いに形成された大規模な塩田は大正時代以降埋め立てられ、造船や化学、機械などの工場の進出を次々と呼び込み、第二次大戦後には、石油化学コンビナートを形成します。山口県が全国有数の工業県に発展する基礎は、江戸時代に築かれたといえます。


このページの先頭へもどる