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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

3.男児志を立てて郷関を…。清風や松陰に信頼された僧 月性

清狂草堂

清狂草堂

藩士以外でも海防の必要性を藩に訴えた人物がいました。1817(文化14)年、現在の柳井市で生まれた妙円寺の僧・月性(げっしょう)です。月性は九州で学んだ際、長崎でオランダ船を見るなどして欧米の脅威を実感。大坂で学んで帰郷後、妙円寺に私塾「清狂草堂(時習館)」を開設すると、藩内外からさまざまな身分の人々が入塾して後に維新の志士として活躍していきます。


ペリー来航後、月性は非常時に備えて一般の民衆にも軍事訓練を行うことを提案した海防強化の建白書を作成。清風に支持され、藩内各地で海防の重要性を説いて回ります。久坂玄瑞(くさか げんずい)や清風の強い影響を受けた周布政之助(すふ まさのすけ)とも交流は深く、吉田松陰(よしだ しょういん)も門下生に話を聞きに行かせるなど大きな信頼を寄せました。


ところで月性は松陰にある贈り物をしています。それは原稿用紙の版木です。松陰は1856(安政3)年、月性へ「欄板早速御贈り下され拝受受仕り候。誠に佳刻目を拭い候」と礼状を書いており、その後の松陰の述作には原稿用紙が使用されるとともに、門下生らも版木をすって原稿用紙を用いました。月性が贈った版木と同一のものかは断定できませんが、萩市にある松陰神社宝物殿「至誠館」には「松下村塾原稿紙版木」が所蔵され、それが現代とほとんど変わらない400字詰め原稿用紙の版木であることに驚かされます。字に独特の癖があり、あふれる思いをいつも紙にぎっしりと書いていた松陰。版木の贈り物はとても嬉しかったことでしょう。


月性は詩作にも優れ、「男児志を立てて郷関(きょうかん)を出づ。(がく)()()る無くんば()た還らず。骨を埋むる何ぞ期せんや墳墓の地。人間(じんかん)到る(ところ)青山(せいざん)有り」という有名な詩は彼の毅然とした生き方を教えてくれます。


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