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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

維新から明治へ
〜近代化の礎を築いた長州人脈〜



幕末、長州で生まれ、学んだ若者たち。
海外へ飛び出すなどして最新の知識や技術を吸収し、
維新後の新しい時代に立ち向かう人材を育てるための「高等教育」や
新しい国づくりに必要な「産業」をおこして日本の近代化をけん引し
政治だけでなく、文化・教育・産業などの面でも
日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。



1.「日本初の総理大臣」「初代外務大臣」など、政界で活躍していった長州ファイブ

長州ファイブ

長州ファイブ
(萩博物館所蔵)

 日本の歴史を大きく動かした萩藩。1863(文久3)年、攘夷実行の準備を進める陰で、若者たちを海外留学させる密航の準備を進めていました。その若者たちとは、 井上馨(いのうえ かおる) (1836-1915)、 井上勝(いのうえ まさる) (1843-1910)、 山尾庸三(やまお ようぞう) (1837-1917)。そして後から加わった 遠藤謹助(えんどう きんすけ) (1836-1893)と、 吉田松陰(よしだ しょういん) の門下生だった 伊藤博文(いとう ひろぶみ) (1841-1909)。その5人は出国から約5カ月後、ロンドンへ到着。日本人初のロンドン大学留学生となりました。


 そのうち伊藤と井上馨は萩藩の攘夷実行を知り、攘夷を中止させようと、翌年、急きょ帰国します。留学は短期間に終わったものの、イギリスで近代化の波に接した2人は帰国後、激動の幕末で木戸孝允(きど たかよし)らのもと、大きな役割を果たしていきます。

 維新後、伊藤は岩倉使節団に特命全権副使として加わります。その後、憲法制定の調査のため再びヨーロッパへ。内閣制度が導入されると日本初の総理大臣に就任し、その辞任後は枢密院議長として憲法草案の審議を主宰して、1889(明治22)年、大日本帝国憲法の発布を実現させました。

 井上馨は第一次伊藤内閣で初代外務大臣となり、治外法権撤廃を中心とする条約改正交渉に尽力したことで有名です。また、幅広い人脈と豊富な知識を生かし、「日本鉄道会社」や「日本郵船会社」の設立に関わったほか、後述する「藤田組」をはじめ数多くの会社に助言などを行い、実業界でも日本の近代化を支えました。


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