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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

3.「日本大学の学祖」山田顕義、英国の文豪が松陰の伝記を書くきっかけを作った正木退蔵、「日本女子大学の創設者」成瀬仁蔵

山田顕義

山田顕義
(国立国会図書館ウェブサイトより)

 日本の近代化を担う人材を育成するため、尽力した長州出身の人物はほかにもいます。その1人が「日本大学の学祖」となった 山田顕義(やまだ あきよし) (1844-1892)です。山田は幕末、萩藩の改革者 村田清風(むらた せいふう) を大伯父として生まれ、松下村塾で松陰に学びました。
 山田は維新後、岩倉使節団に参加。海外視察などを通じて司法の重要性を認識し、司法大輔となった後、司法行政に関わり、初代司法大臣に就任し、その後、民法・商法・民事訴訟法など、日本の近代法の制定・整備に尽力しました。さらに、日本大学の母体となる日本法律学校(現 日本大学)の創設などに関わり、高等教育機関の設立にも大きな役割を果たしました。


正木退蔵(資料提供:東京工業大学博物館)

正木退蔵
(資料提供:東京工業大学博物館)

 教育・文化面では、幕末、山田と同じく松下村塾で学んだ 正木退蔵(まさきたいぞう) (1846-1896)が挙げられます。正木は維新後「東京職工学校(現 東京工業大学)」の初代校長を務め、また、松陰を海外に伝える役割を果たしたことで特筆されます。正木は1871(明治4)年、ロンドン大学で化学を学び、帰国後、工部省を経て文部省へ。その後再び渡英し、留学生の監督のほか「東京大学」などのお雇い教師の募集や教育の調査などに携わったようです。

R.H.スティーブンソン著『ヨシダ トラジロウ』(萩博物館所蔵)

R.H.スティーブンソン著『ヨシダ トラジロウ』(萩博物館所蔵)

 このとき正木が会い、師 松陰の思い出を語って聞かせた人物が、『宝島』で知られる文豪R.H.スティーブンスンでした。松陰の生き方に心を動かされたスティーブンスンは、世界初の松陰の伝記『ヨシダ トラジロウ』を著します。


 やはり海外に学び、本格的な女子高等教育機関の設立に向けて奔走し、「日本女子大学の創設者」となった 成瀬仁蔵(なるせ じんぞう) (1858-1919)も長州出身です。

成瀬仁蔵(日本女子大学)

成瀬仁蔵(日本女子大学)

 成瀬は幕末、現在の山口市で生まれました。郷校「吉敷憲章館」に学び、維新後、山口県教員養成所、小学校長などを経てキリスト教に入信します。県外で女子教育などに携わった後、渡米して神学校や大学で女子教育などを研究します。帰国後、高等教育は女子に不要という社会的な認識が強い中、女子高等教育機関(女子大)の設立に向けて奔走していきます。そして国立の教員養成の女子高等師範学校がまだ1校(現 お茶の水女子大)しかない時代、英語教育を通じて広い教養を身に付けることを目指した女子英学塾(現 津田塾大学)と医師教育のための東京女医学校(東京女子医大)が創設された翌年の1901(明治34)年、日本初の女子総合大学の構想をもつ「日本女子大学校(現 日本女子大学)」の創設を果たしたのでした。 。


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