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山口ブランドストーリー「維新から明治へ〜近代化の礎を築いた長州人脈〜」公開! 明治時代、長州で学んだ者たちが、政治だけでなく文化・教育・産業などの面でも日本に維新をもたらしたストーリーを紹介しましょう。   

山口ブランドストーリー

4.「日本初の民間セメント会社の創業者」笠井順八、日本有数の工業地帯を作った渡邊祐策

 長州は維新後、山口県を拠点に起業し、県外や国外へとフィールドを広げていった実業家も数多く輩出しました。


笠井順八(山陽小野田市教育委員会)

笠井順八
(山陽小野田市教育委員会)

 「日本初の民間セメント会社を創業」した 笠井順八(かさい じゅんぱち) (1835-1919)が、その1人です。笠井は萩藩の御船手の家の子として萩で生まれました。維新後、生活に困窮するようになった士族の救済のため、当時高価な輸入品で土木工事の近代化に必須のセメントに着目し、その国産化を志し、1881(明治14)年、現在の山陽小野田市に日本初の民間セメント製造会社(後の小野田セメント株式会社。現 太平洋セメント株式会社)を設立しました。ダムやトンネル、道路の建設など社会資本の近代化が進むにつれ、セメントの需要は増え、小野田セメントの名は全国へ、海外へと知られていきました。


渡辺祐策(渡邊裕志氏 提供)

渡辺祐策(渡邊裕志氏 提供)

 宇部市を石炭で栄えさせ、全国有数の工業地帯へ発展させる礎を築いた 渡辺祐策(わたなべ すけさく) (1864-1934)の存在も欠かせません。宇部で石炭産業が盛んになったのは、萩藩の家老だった福原家が維新後、他村の人の手に渡った宇部の石炭を掘る権利を、宇部のために買い戻したことに始まります。宇部の人々は権利を譲り受けて共同で管理する宇部共同義会を設立。各炭鉱は地域の人が資金を出し合った宇部式匿名組合で運営され、組合の代表者を頭取と呼びました。その組合の中で最大規模に成長したのが、渡邊が頭取を務めた海底炭鉱「沖ノ山炭鉱」でした。

渡辺翁記念会館(志岐祐一氏 提供)

渡辺翁記念会館(志岐祐一氏 提供)

 渡邊が優れていた点は、石炭は掘り尽くせばなくなると考え、「有限の鉱業から無限の工業へ」と早くから鉄工所や化学工業など次々と会社を設立していった先見の明にありました。その志は受け継がれ、渡邊がおこした会社は「宇部興産グループ」の母体となって現在では化学・機械・医薬など、その製品や技術も家電から航空宇宙分野まで幅広く、国内外で活用されています。


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