1903(明治36)年に長門(ながと)市で生まれ、 詩人・西條八十(さいじょう やそ)※注1に才能を認められながら、 26歳の時、下関市で亡くなった童謡詩人・金子みすゞ。
没後半世紀を経て、初めて全集が刊行されて以来、 彼女の詩は多くの人々の心をとらえ続けています。
二つのゆかりの地では今、 彼女をどう伝えようとしているのか…。
下関市出身の山口ふるさと大使※注2・菊田あや子さんが 山陰観光列車「みすゞ潮彩」で訪ねました。
※注1 明治・大正・昭和を代表する詩人・作詞家。代表作は童謡『かなりあ』、歌謡曲『蘇州夜曲(そしゅうやきょく)』『青い山脈』など。みすゞが投稿した雑誌『童話』で投稿欄の選者も務めた。
※注2 県にゆかりのある著名な方に大使に就任いただき、さまざまな機会を通じて山口県の魅力を発信していただく制度。3月末現在26人。
菊田 あや子 (きくた あやこ)
1959(昭和34)年、山口県下関市生まれ。県立下関南高等学校卒業後、日本大学芸術学部放送学科に在学中、ラジオ番組の司会者として芸能活動をスタート。ワイドショーのリポーターとして全国を飛び回るほか、グルメや旅などをテーマとしたテレビ番組に数多く出演。日本フードアナリスト協会準講師や下関ふく連盟の初代「下関ふく大使」としても活躍中。2009(平成21)年3月、山口県の魅力をPRする「山口ふるさと大使」に就任。
「わたしが金子みすゞさんのことを知ったのは、いつだったかしら。わたしが育った場所のすぐ近くに、みすゞさんがおられたと知って、今日は何だかご縁を感じて来たんですよ」
下関市出身のリポーター、菊田あや子さん。旅はJR山陰本線を走る「みすゞ潮彩」に乗って新下関駅から始まりました。車窓にコバルトブルーの日本海が広がり始めると「あっ」 と身を乗り出した菊田さん。
「子どものころは、この辺りに海水浴に来ていたの。でも、この海のきれいさに気付いたのは、ふるさとを離れてからなのよね…」
やがて車内にカーン、カーンと響く拍子木(ひょうしぎ)の音。みすゞの詩と生涯を紹介する紙芝居の始まりです。
みすゞは長門市仙崎(せんざき)で荷を運ぶ船の仕事をしていた金子庄之助(しょうのすけ)とミチの2番目の子として生まれました。3歳の時、母の妹が嫁いでいた下関の書店、上山文英堂(うえやまぶんえんどう)の仕事で中国に渡った父が死去。みすゞの一家も書店を仙崎で営むことになり、弟の正祐(まさすけ)は上山家へ養子に行くことになりました。
やがて母の妹が亡くなり、母は下関の上山家の当主と再婚。みすゞも20歳の時に下関に移り住み、そのころから詩を作り始めます。
23歳の時、結婚。娘が生まれますが、夫からは詩を作ることを禁じられ、治りにくい病気にも侵され、ついに離婚。そして、夫が娘を引き取りに来るという前日、自分の命と引き換えに「母に娘を育てさせてほしい」と遺書を残し、26歳の生涯を自ら終えたのでした…。
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![]() みすゞが生きた時代に流行したアール・デコ調を意識した内外装の「みすゞ潮彩」。 車窓から美しい海を楽しめるよう、指定席のほとんどは海側向き。また、特に眺めの良い3カ所のビュースポットで停車するサービスも行っています。 |
![]() 「紙芝居が良かった、と言ってくださる方が多く、うれしいですね」と紙芝居を上演するNPO法人青少年共育活動協会の佐々木清司(ささき きよし)さん。 |
![]() 土・日曜日と祝日運行の快速列車では、みすゞや高杉晋作(たかすぎ しんさく)の紙芝居を上演。 |




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