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特集●元気元景やまぐち・ファイティングスピリットの故郷ハワイを夢見た島。 大島郡「周防大島」 夢先案内人 女優藤田三保子

藤田三保子

藤田三保子(ふじた みほこ)

女優。昭和27年(1952)山口県宇部市生まれ。山口県立防府高等学校卒。昭和48年 劇団文学座附属研究所入所、翌年 NHK連続テレビ小説「鳩子の海」のヒロインでデビュー。昭和50年TBS「Gメン'75」、平成4年映画「国会へ行こう」、平成8年舞台「スカーレット」等に出演。趣味は日舞、俳句など多彩。
油絵の個展も毎年開催。ライフワークとして朗読に取り組んでいる。(旧芸名 藤田美保子)

 

瀬戸内海で三番目に大きな島「周防大島(屋代島)」は今「リゾートの島」として人気を集めています。
そんな大島には、明治時代から数多くの移民を送り出した「ハワイ移民の島」というもう一つの側面があります。
大島とハワイを結ぶ固い絆を巡って、山口県出身の女優、藤田三保子さんが旅をしました。

 生きた証を残したい。祖先たちのふるさとを知りたい。人にはそんな本能があるのかもしれない。そしてそれはだれかが伝えなければ時の砂に埋もれていってしまう。
 昭和四十九年(一九七四)、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でデビューした山口県宇部市出身の女優、藤田三保子さん。 この日は「もうひとつの故郷」である周防大島へ、高校生のお嬢さんといっしょの久しぶりの帰郷となった。「大島には母が最近まで住んでいたの。でも母が大島に住むようになったのは、私が東京へ出た後のこと。だから大島についてもっと知りたいと思ってたの」
 すらりとした長身に、まっすぐな眼差し。その瞳にはテレビ画面の印象よりも一層の輝きがあった。


大島郡はハワイ州カウアイ島と姉妹縁組を締結。東和町片添ケ浜(かたぞえがはま)をはじめ、大島にはハワイをイメージして整備された観光スポットが多い。

海外から帰郷後に建てた夢の家

大島郡大島町。石垣を巡らした丘の上にたつ「日本ハワイ移民資料館」を藤田さんは訪れた。資料館がオープンしたのは平成十一年(一九九九)のこと。建物は和洋折衷の本瓦ぶき入母屋造りで、元々は明治時代に十六歳でサンフランシスコへ渡り、貿易業で成功を収めた故福元長右衛門氏が昭和三年(一九二八)に建てた家である。「立派なお屋敷ですね。 昔の家にしてはたくさんのガラスを使っているし、天井も高いですね」「ええ。福元氏自ら台湾へヒノキを買い付けに行くなど、今のお金にして三億円ともいわれる建築費用を要したそうです」藤田さんに説明するのは、館長の藤元重則さんと大島町教育長の小田輝吉さんだ。「この家を建てた福元さんのほかにも海外へ、特にハワイへ渡られた方が大島郡には多いんです」

大島生まれのフロンティア魂

大島郡におけるハワイ移民の歴史は明治初期にさかのぼる。そのころ製糖産業が急速に発展したハワイ王国は、労働力を求めて日本政府と交渉し、明治十七年(一八八四)、日本政府を通して移民募集を始めた。このときのハワイ移民を「官約移民」という。当時は農村不況が全国を襲った時代。特に大島は耕地が少ない上に自然災害も重なり、不作続きで借金に苦しむ家が続出。そこへ持ちかけられたのが、移民募集の話だったのである。「ハワイに行けば日に八十銭以上、日本の八倍稼げるらしい」そんな噂に加えて地元出身で山口県勧業課の日野恕助氏が郷里の苦境を思って勧誘に回ったこともあり、出稼ぎ希望者は相次いだ。その結果、明治十八年(一八八五)、第一回移民約九百五十人中最多の広島県出身者についで山口県出身者が多く、しかも全体の三分の一を大島郡出身者が占めたほどだった。さらに明治二十七年(一八九四)までの官約移民時代だけで、約三千九百人もの人たちが大島郡からハワイへ渡っていった。

日本ハワイ移民資料館
公立として国内初の日本ハワイ移民資料館。アメリカの5つの博物館とも提携している。
日本ハワイ移民資料館 内部
資料館の建物は、明治十四年生まれの故 福元長右衛門氏が建てた邸宅。
日本ハワイ移民資料館 館長 藤元重則さん 大島町教育長 小田輝吉さん
日本ハワイ移民資料館 館長 藤元重則さん(左)と、大島町教育長 小田輝吉さん(右)。公務員は夏、全員アロハシャツを着用。島内全体にハワイの雰囲気が漂う。

「昔の日本の男性が奥さんと手をつないでるなんて!」と藤田さん。

「A PICTORIAL HISTORY OF THE JAPANESE IN HAWAII 1885-1924」
Bishop Museum Press Honolulu. Hawaii 1985

 船に揺られること二週間。家は、自ら河原で拾った小石を積み上げ、サトウキビの葉で屋根をふいてつくったもの。サトウキビ畑での労働は早朝から十時間以上にも及び、官約移民の契約の三年間の暮らしは想像を絶するものであった。それでも人々は懸命にお金をためて、故郷に残した家族への送金や借金の返済にあてた。やがて、厳しさに耐えて契約終了後もハワイに残り、仕事をしながら言葉を覚えて財をなす人も現れ、自由渡航時代(一九〇〇〜一九〇八年)以降も大島からハワイへ渡る人は絶えなかった。

 ※土井弥太郎『山口県大島郡ハワイ移民史』参照

鳩子の海から

 周囲を巻き込む明るさが魅力的な藤田さん。でも、そんな藤田さんは、幾つもの壁を乗り越えながら歩んできた女優である。鳩子の海から三年後、女優として最も充実していたときに結婚。夫は再婚だったため藤田さんはいきなり二児の母となり、同居となった夫の両親の世話もしながら女優を続けた。しかし心身の無理がたたったのか病を患い、医師から女優をやめるよう忠告を受けた。「でも、それはわたしにとって死に等しいこと。女優をやめて永らえるより、今死んでもいいから女優を続けたいと思ったの」病の噂は広がり、思うような仕事ができない。 仕事への不満や不安が募る中、ある日長年願っていた妊娠が判明。ドクターストップを押し切って出産を決意する。「娘が生まれたとき、わたしは思ったの。生まれ変わろう、どんな仕事でも前向きに、いろいろなことを学んで自分自身を磨きながら今を生きるわたしの姿をこの子に見せていきたい、と…」そしてそのとき生まれた子が、今回の旅に同行してくれたお嬢さんなのである。

ルーツ探しの旅は時をこえ海を渡って

 親や祖先がどう生きたのか。どこで生まれたのか。日本ハワイ移民資料館の開館以来、ハワイ移民だった祖先のことを知りたい、と資料館を活用する人が国内外から相次いでいる。先日もアメリカ在住の日系四世で歴史学者のローリー・メンゲルさんが来日。祖先が山口県出身らしいというわずかな情報を頼りに調べたところ、関わりのあるらしい墓を探し当てることができた。そのとき通訳を務めたのが資料館のスタッフ吉田芳子さんだ。「アメリカでは出生証明書などに必ず人種を書かないといけないんです。日系人ならば『モンゴリアン』と。だから自然に自分のルーツを意識させられるのかもしれませんね。そういえば彼女のルーツ探しの旅で不思議な巡り合わせがあったんです。久賀町にある喫茶店『すみれ』へ行かれたら、きっといいお話が聞けると思いますよ」

検索システム 写真
祖先のルーツ探しに活用されている官約移民の検索システム。
かむろ 写真
大正時代創刊された『かむろ』は、移民の人たちへ東和町沖家室(おきかむろ)島の様子を届けた同郷誌。昨年から刊行が始まった復刻版を手掛かりに祖先の出身地が分かった人もいる。
   

ハワイとの絆-育む小さな喫茶店

政村さん夫妻 写真喫茶店を経営する政村さん夫妻。

 大島郡久賀町にある、その小さな喫茶店を、藤田さんは訪ねた。笑顔で迎えてくれたのは、経営者で八十六歳の政村哲雄さんと、妻で八十三歳の里子さんだ。店は戦後間もない昭和二十三年(一九四八)の創業で、そのころ里子さんは郵便の取り次ぎもしていて、ハワイからのたくさんの小包を届けて回ったと話す。それは物資のない時代のこと。大島の人たちはハワイの親せきの人たちにずいぶん助けられたのだそうだ。実は里子さん自身、生まれはハワイ。四歳のとき家族と久賀町へ一時帰郷。眠っていた里子さん一人が、母方の実家の養子となるため残され、家族は再びハワイへ。が、幼かった里子さんは小学生になって事実を知るまで、育ての両親を本当の両親だと思って育った。後に里子さんが大人になったある日、実母の親友がハワイから訪ねてきて「お母さんはあなたを納得させた上で養子に出さなかったことをずっと悔やんでいたんですよ」と里子さんに伝えたという。「それを聞いてどうでした?」気遣いながら尋ねる藤田さん。「母の思いを知ることができて良かったです。それに、兄弟たちもわたしのことをずっと思ってくれていて、長兄の遺言で法事にわたしをハワイへ招いてくれたんです。それが四歳以来、五十数年ぶりのハワイ。行ってみたら百五十人もの親せきに囲まれて。それはもう楽しかったです」里子さんは嬉しそうに笑う。「信仰心のあつかった両親の影響か、わたしは墓参りに行くと親せきでもない人のお墓までお参りするんです。先日、日系四世のローリーさんという方が先祖のお墓を探しに来られた。その時、私の店に立ち寄られ、話していたら偶然、いつもわたしがお参りする遠縁の人のお墓が彼女の遠縁にも当たると分かり、『ありがとう』って抱きついて喜ばれたんですよ」

ピアノ 写真昭和7年(1932)ハワイ在住者から三浦小学校へ寄付されたグランドピアノ。移民の人たちは、ふるさとへ様々な寄付を行った

 

一人ひとりの自由

 大島町に住む九十六歳の中村一三郎さん、八十九歳のヒサヨさん夫妻もハワイ生まれの二世だ。一三郎さんはハワイの日本人学校の元校長。戦前戦後を通じて日本語教育に尽力し、 昭和四十六年(一九七一)、六十五歳で退職して両親の故郷大島町へ帰ってきた。昭和十六年(一九四一)十二月七日(現地時間)真珠湾攻撃の日、中村夫妻はハワイの自宅にいた。そしてその夜、日本人学校の校長という立場ゆえに拘束されて、やがてアメリカ本土へ。以後、中村夫妻の収容所生活は四年間にわたった。「収容所時代は、つらいことがあったのではないですか」と藤田さんが尋ねると、「ノー、ノー、ノー。意外と自由でね。収容所で芝居の一座を作った人もいて、かつらも自分たちで作ったんだよ、ハッハッハッ。今振り返れば、いろいろと面白い体験だった。でも、戦争はいかん。早く戦争が終わって欲しい、それだけを願っていたよ」妻のヒサヨさんもいう。「解放されてハワイへ戻ってからの方が大変だったの。だって一からのやり直しになったから」中村さん夫妻は、日本ハワイ移民資料館へ三百五十点に及ぶ貴重な資料を寄贈している。その中には、中村さんが築き上げた日本人学校、収容所生活など、たくさんの写真が張られた三冊のアルバムもあり、細かい字でぎっしりと思い出が書きこまれている。「わたしたちには子どもがいないの。だから、きちんと残しておきたくてね」夫の傍らに寄りそったヒサヨさんは笑顔を絶やさない。旅の終わりに、ある河原に立ち寄った。傾き始めた陽の中で、そっと手をつないで歩く藤田さん母娘。その並んだ背中に、娘が生まれてわたし自身生まれ変わったと語った藤田さんの言葉が重なる。「明治時代から大島の人たちは言葉も分からない国へよく渡っていったものね。二度と故郷へ帰れないかも…、そう思った人もいたでしょうに。きっとフロンティアスピリットが強いんでしょうね。ハワイ移民の歴史、もっと伝えていって欲しい。知って欲しい。でも、中村さんが言っていたけれど、何を学び取るかは一人ひとりの自由。本当にそう思ったわ」

藤田さんと、ハワイ生れの中村さん夫妻 写真
藤田さんと、ハワイ生れの中村さん夫妻。
日系人学校 写真
中村さんが校長を務めた日系人学校。
   

国際交流の島、リゾートの島へ

大島郡国際文化協会では、高校生のカウアイ島への派遣、友好親善団の訪問などの国際交流を実施。

 大島郡は昭和三十八年(一九六三)、ハワイ州カウアイ島と姉妹縁組を結んだ。その絆は、大島の先人たちがさまざまな苦難にも負けず、切り開いた足跡によって築かれたもの。その絆を生かして大島郡ではさまざまな交流が行われている。夏には町職員によるアロハシャツの着用、健康づくりのフラダンス教室。また今年一月には、昨年九月の米国同時多発テロの影響による観光客の急激な落ち込みを知った有志八十二人がハワイへツアーに出かけ、大歓迎を受けた。日本ハワイ移民資料館へも国内外からさまざまな人が訪れている。館内の感想ノートには先人たちへの様々な感想が記され、そこにはハワイへ修学旅行に行く地元安下庄高校の生徒たちの感想もあった。若い彼らにも祖先たちの開拓者魂は、きっと何かを伝えているに違いない。大島は今、リゾートの島、国際交流の島として新たな歩みを踏み出している。


取材協力/
中国新聞 大島支局
日本ハワイ移民資料館
大島郡国際文化協会



インフォメーション【日本ハワイ移民資料館】

山口県大島郡大島町大字西屋代2144番地
■TEL&FAX/0820-74-4082
■開館/9:30〜16:30
■休館/月曜日(月曜日が祝日の時はその翌日)
      12月29日〜1月3日
■料金/大人: 400円
      小・中学生: 200円
■URL/http://www.town.oshima.yamaguchi.jp/hawaii/



周防大島

大島大橋 「大島みかん」の産地 竜崎温泉潮風の湯 陸奥記念館
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大島町・久賀(くか)町・橘(たちばな)町・東和町からなる周防大島(屋代島)は、 1 昭和51年に開通した大島大橋で本土と結ばれている。 2 大島は、たっぷりの太陽と潮風を浴びて育つ上質な「大島みかん」の産地として知られ、10月中旬から12月上旬までミカン狩りが楽しめる。観光スポットは 3 陶芸の館などが隣接する「竜崎(りゅうさき)温泉潮風の湯」(橘町)、 4 柱島(はしらじま)沖で謎の沈没を遂げた戦艦陸奥(むつ)の遺品を展示する「陸奥記念館」や「なぎさ水族館」(東和町)、 5 海の幸たっぷりの食事が大人気の「道の駅サザンセトとうわ」(東和町)、 6 ハワイのカウアイ島の庁舎をモデルにした建物がたつ宿泊滞在型スポーツ施設「グリーンステイながうら」(久賀町)など数多い。

道の駅サザンセトとうわ
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グリーンステイながうら
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周防大島地図
●観光の問い合わせ
  大島郡観光協会
  0820-74-1008
  (大島町役場産業課内)


参照サイト

山口県広報広聴課課


〒753-8501
山口県山口市滝町1-1
TEL 083-933-2566
FAX 083-933-2598
E-mail
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