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特集「2泊3日萩往還を歩く旅」Vol.2

■第2日目後半

上長瀬の一里塚の写真

上長瀬の一里塚

日南瀬(ひなたぜ)という地域を過ぎ県道62号に入ると、萩往還(はぎおうかん)最高地点、標高537メートルの板堂峠(いたどうとうげ)に向かう、約4キロメートルにわたる長い上り坂が始まります。ずっと舗装されているので、1日目に歩いた一升谷(いっしょうだに)の石畳のような歩きにくさはありませんが、長い上りはやっぱりハードです。


長い長い上り坂の中ほどに「上長瀬(かみながせ)の一里塚」があります。ここは萩から約五里の地点になるそうです。写真のように大小の岩石を積み上げて作られた一里塚は萩往還に一里ごとに12基が設置されています。

夏木原交流施設そばの公園の写真

「吉田松陰先生東送之碑」のある夏木原交流施設そばの公園

吉田松陰先生東送之碑の標柱の写真

吉田松陰先生東送之碑


ここにも吉田松陰(よしだしょういん)の史跡がありましたよ! 夏木原には、「吉田松陰先生東送之碑」があります。安政の大獄で江戸へ送られる松陰が、血を吐くまで鳴き続けるというほととぎすにわが身をなぞらえて詠んだ歌だそうです。国を憂い我が身の行く末を案ずる激しい想いがこめられています。

国境の碑の写真

国境の碑

長い長い上り坂もようやく終わりに近づき、「国境の碑」までやってきました。ここが長門と周防の国境かぁ! ここを過ぎれば、萩往還最高地点、板堂峠(いたどうとうげ)。ここまで萩を出てから約22キロメートル。あの一升谷を越え、夏木原の長い上りから板堂峠を越えて自分の足だけでここまでやってきました。思わずバンザイをしたくなりました。まだ残された道のりは長いのですが、あとは一部を除いて下りか平坦なコースなので気持ちは楽です。昔の旅人も、ここで大きな達成感と安堵に包まれたのではないでしょうか?

  
道の駅「萩往還」の写真

長い上り坂の後は激しい下り坂!

ところが! 今度は一転して約2.5キロメートルにわたる長く激しい下り坂の連続です。これは思いのほか足を疲れさせます。石畳で転ばないように、慎重に進みます。

  
一の坂一里塚の写真

一の坂一里塚

あっ! ここにも一里塚がありました。この「一の坂一里塚」は、萩から三田尻(防府市)までのちょうど中間点にあたるそうです。

  
一の坂御建場跡の写真

一の坂御建場跡(六軒茶屋跡)

このあたりには「一の坂御建場跡(六軒茶屋跡)」があります。このあたりが最大の難所で、旅人や殿様一行もここで比較的長時間の休憩をとったと言われています。現在は江戸時代の御建場跡が復元されています。


一の坂御建場跡を坂の下から見た写真

このアングルの写真、皆さんも萩往還の写真としてよく目にされるのではないでしょうか。まさにここ「一の坂御建場跡(六軒茶屋跡)」を坂の下から見たところです。


「四十二の曲り」の写真

「四十二の曲り」

ここからは、つづら折りの坂道が続きます。ここは、萩往還の名所「四十二の曲り」。急こう配でくねくねと曲がっていて、いかにも難所という表現がぴったりですね。ここも坂の下側から写真を撮っています。山口から萩に向かう場合、ここを上るなんて考えただけでも恐ろしい…。


下り坂の途中、明るくなってきた風景の写真

山口市が見えてくるかな…?

やっと目の前が開けて明るくなってきました。いよいよ山口市内が近づいてきました。


国宝・瑠璃光寺五重塔の写真

国宝・瑠璃光寺五重塔

萩往還の旧道を抜けて約4キロメートルほどで、国宝・瑠璃光寺五重塔に到着しました。2日目の行程はここまで。


夏みかんソフトの写真

夏みかんソフトが疲れを癒やします

ほっと一息つきながらここで食べた夏みかんソフトの味は忘れられません!


■第3日目

一の坂川沿いの風景の写真

一の坂川沿いの風景

さて、この萩往還の旅も最終日。この日はこれまでのような難所はなく、山口と防府の市街地を中心にたくさんの史跡に思いをはせながらの行程です。


枕流亭の写真

枕流亭

瑠璃光寺五重塔の写真

瑠璃光寺五重塔

瑠璃光寺五重塔と枕流亭。枕流亭は、幕末には西郷隆盛ら他藩の志士たちも来訪し討幕の密議をこらしていたようです。もともと別の場所にあったものを瑠璃光寺に移しました。

  
露山堂の写真

露山堂

露山堂。藩主毛利敬親が藩庁を山口に移した際に建てられた茶室で、家臣らと討幕の密議を練ったと言われています。現在の県庁内にあったものが香山公園内に移築されました。


十朋亭の写真

十朋亭

こちらは十朋亭。山口の商人萬代家の離れの建物ですが、当時の当主利兵衛が志士たちを支援しており、伊藤博文、井上馨、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作らが訪れて起居したと伝えられています。このように、藩庁が置かれた現在の県庁周辺は志士たちの息遣いまで聞こえてきそうな史跡がいっぱいです。


山口市街地の写真

山口市街地

山口市の商店街の写真

山口市の商店街

現在の山口市街地、商店街や駅通りの一部も萩往還でした。


柊神社の写真

柊神社

萩から約40km。山口からの最初の宿場町・柊(ひいらぎ)にある柊神社。萩から三田尻までの全行程の約四分の三を歩いてきたことになります。あと少し? でもまだ13キロメートルくらいあるんです。


山口市から防府市へ向かう国道262号沿いの道の写真
山口市から防府市へ向かう国道262号そばの脇道の写真

山口市街地を離れて防府市へ向かいます。このあたりは国道262号の脇道のような生活道路として現在も利用されています。

  
佐波山トンネルの上を越える坂道の写真
佐波山トンネルの上を越える坂道の写真

そして、ついに山口と防府との境までやってきました。現在の「佐波山トンネル」の上を越えるこの道は少し長い上り坂になっています。


郡境の碑の写真

郡境の碑

明治天皇鯖山峠御小休所址の写真

「明治天皇鯖山峠御小休所址」


頂上には郡境の碑があります。これより北側が吉敷郡(現在の山口市)、南側が佐波郡(現在の防府市)というわけです。「明治天皇鯖山峠御小休所址」もありました。

ここからは長い下り坂で防府の市街地へ向かいます。昔は舟橋が架けられていたという佐波川を渡ると、ほどなく萩往還が旧山陽道と交差するポイントがあります。


萩往還が旧山陽道と交差する場所の写真

この先の交差点から萩往還と旧山陽道が重なります

この写真で見えている交差点を左右に通っているのが旧山陽道。現在の山口県から大阪府までつながる当時の街道です。ここから萩往還も左に折れ、防府天満宮までの約700メートルほどは旧山陽道と重なっています。


宮市本陣兄部家跡の写真

宮市本陣兄部家跡

防府市宮市の町並みの写真

防府市宮市の町並み


防府市宮市の町並みと宮市本陣兄部家(こうべけ)。兄部家は江戸時代に大名や幕府の上級役人が宿泊する施設・本陣に指定された旧家で、現在もその門と庭の一部が残っています。

防府天満宮の鳥居の写真

ここで旧山陽道と分かれます

防府天満宮の前で再び旧山陽道とは分かれて、萩往還は防府の商店街を抜けて南へ進みます。


楫取素彦・美和子夫妻の終焉の地の写真

楫取素彦・美和子夫妻の終焉の地

商店街を抜けてしばらく行った岡村町には、大河ドラマ『花燃ゆ』にも登場する楫取素彦(かとり もとひこ)・美和子(みわこ)夫妻の終焉の地がありました! 往時を知る近隣の方の記憶をもとに描かれたという楫取邸の図が掲示してあります。

そしてついに53キロメートルにわたるこの旅も、終わりに近づいています。


野村望東尼終焉の宅跡の写真

野村望東尼終焉の宅跡

三田尻御茶屋(英雲荘)の写真

三田尻御茶屋(英雲荘)


高杉晋作ら志士たちのよき理解者で、高杉の没後この三田尻で晩年を過ごした勤皇の女流歌人野村望東尼終焉の宅跡があり、しばらく歩くと萩往還の終点にやってきました。藩の公館として参勤交代時の旅館や他藩の特使のもてなし等に利用された三田尻御茶屋(英雲荘(えいうんそう))です。


三田尻御舟倉の説明板を眺めている写真

三田尻御舟倉に到着。しばし説明板を眺めて感慨に浸ります

三田尻御舟倉跡の水路の写真

旅はここで終わりです


さらに1キロメートルほど歩き、三田尻御舟倉(おふなぐら)にやってきました。今は水路の一部だけが残るだけですが、当時は藩主の御座船が置かれ、船の建造や修理ができる施設や船大工らの住宅地もありました。

今回、日本海に面した萩から3日をかけて自分の足だけを頼りに瀬戸内海側の三田尻までやってきました。なかなかの達成感です。難所あり、自然の清々しい空気あり、その土地ならではの味あり、志士たちの往来が見えそうな史跡あり。萩往還は、何度でも歩いてみたくなる道です。

関連リンク
公益社団法人萩市観光協会ホームページ山口県の道の駅「道の駅萩往還」