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特集「幕末維新の旅」-萩市-

「松陰(しょういん)先生」と今なお市民に慕われる吉田(よしだ)松陰。萩市では、吉田松陰に関する史跡を中心にご紹介します。


萩市

幕末の思想家・教育者「吉田松陰」

吉田松陰像の写真

絹本着色 吉田松陰像(自賛)(山口県文書館蔵)

天保元(1830)年、現在の萩市に生まれた松陰は、叔父の玉木文之進(たまき ぶんのしん)から厳しい教えを受けたそうです。その厳しさを伝える逸話として、勉強中、松陰が頬をかいただけでも、「公に尽くす者となるために勉強しているというのに! かゆいというのは私事だ!」と烈火のごとく怒ったという話を聞いたことがあります。「公」と「私」とをたたき込まれながら、熱心に学んだんですね。数えで11歳の時には、お殿様の前で講義をし、評判となったそうです。

「道の駅 萩往還」 萩市椿 [地図1]

吉田松陰の像の写真

ちなみに、道の駅萩往還には、吉田松陰を囲んだ高杉晋作(たかすぎ しんさく)と久坂玄瑞(くさか げんずい※1)の像が立っています。久坂玄瑞は、大河ドラマの主人公・文(ふみ)の夫。これは、記念撮影スポットですね!

日本中が欧米の脅威をひしひしと感じていた幕末。欧米に対抗できる国となることは急務でした。松陰は、「部屋にこもって勉強しているだけでは駄目だ!」と、日本各地を旅しています。防備の視察や知見を広めるため、脱藩して東北を訪れたりもしているんですね。

道の駅萩往還(はぎおうかん)の「松陰記念館」には、そんな松陰の足跡を示す日本地図などが展示してあります。(後ほどご紹介する「松陰神社宝物殿至誠館(しせいかん)」にもあります)

旅を通じて多くを学んできた松陰は、「飛耳長目(ひじちょうもく)」という言葉を使っています。遠くのことを聞くことができる耳に、遠くまでよく見通す目。つまり、「情報収集に努め、物事を鋭敏に観察する」という意味だそうです。

※1 久坂は、松陰に長州一の英才と認められた人物。元治元(1864)年の「禁門(きんもん)の変」で自刃。


「野山獄跡」 萩市今古萩町 [地図2]

野山獄跡の写真

嘉永6(1853)年、アメリカのペリーが来航。自由に海外へ行くことは許されない時代で、密航は死罪になるほどの行動ですが、黒船を見て衝撃を受けた松陰は、「今は、まず外国のことを知らなければならない。外国を自分の目で見たい」と、翌年、ペリーが再来航すると、ついに伊豆下田沖で停泊していた米艦に乗り込みます。しかし、密航は失敗。松陰は自首し、萩に送り返されて「野山獄(のやまごく)」に投じられます。


「松下村塾と松陰神社」 萩市椿東 [地図3]

松下村塾の写真

松下村塾


松陰神社の写真

松陰神社

幕末から明治にかけての日本を担った数多くの人材を輩出した「松下村塾(しょうかそんじゅく)」。ここはぜひ訪れてほしいスポットです。

野山獄を出た松陰がここで行った講義には、多くの若者が集いました。ここでの講義は、松陰が一方的に教えるのではなく、皆で意見を出し合って学んだそうですよ。そんな若者たちの中で久坂玄瑞と高杉晋作は、「松下村塾の双璧」と呼ばれる良きライバルでした。

松陰が松下村塾で教えたのは、わずか1年余りのこと。幕府の開国政策に異を唱え、老中襲撃まで計画する松陰は、ついに安政の大獄(※2)で江戸に送られます。

死を覚悟した松陰は、家族への別れの手紙に、萩へ戻れない自分の代わりに、愛用の赤間硯(あかますずり)と手紙をまつってほしいとつづっています。松陰の著述を助けてきたその硯と手紙は、今、松陰神社の御神体としてまつられています。

安政6(1859)年、松陰は、江戸で処刑されました。数えで30歳でした。「松陰神社宝物殿至誠館」では、遺書「留魂録(りゅうこんろく)」をはじめ、貴重な資料を見ることができます。

捨て身となって時代に立ち向かった松陰。「志のある在野の者は、いっせいに立ち上がれ!」という松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」の考えは、松下村塾の門下生たちに受け継がれてゆきます。

※2 尊王攘夷(そんのうじょうい)運動への大弾圧。これにより、安政6(1859)年に松陰は処刑された。


「涙松跡」 萩市椿 [地図4]

涙松跡の写真

道の駅萩往還の近くには、「涙松跡(なみだまつあと)」があります。この場所は、街道「萩往還」から萩城下が見える最後の地点でした。松陰は、江戸に送られるとき、「帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな」と詠みました。

「吉田家菩提寺・泉福寺」 萩市浜崎 [地図5]

家系図の写真

大河ドラマ決定後に知ったのですが、吉田家の菩提寺(ぼだいじ)だそうです。

泉福寺(せんぷくじ)には松陰の位牌(いはい)が現存するほか、本堂の壁面には松陰の親の代から現在に至るまでの家系図が掛けられています。そしてその上に、ゆかりの人々の写真が掲げられています。その中に、文の写真もあります。正確には晩年なので名前は杉(すぎ) 文ではなく楫取美和子(かとり みわこ)ですが、こちらで拝見することができました。

まだまだ穴場的なスポットだと思う泉福寺ですが、これからますます来訪者が増えることでしょう。


【幕末維新を感じるスイーツ】蒸気まんじゅう

蒸気船まんじゅうの写真

蒸気船をかたどった「蒸気まんじゅう」は、幕末に誕生した伝統菓子。幕末、萩沖に出没する黒船を「まんじゅうにして食べてしまえ!」と誕生したものだといわれています。


山口きらめーる「おもしろ山口学」

吉田松陰関連のバックナンバーです。イベント等は掲載時のものですので、ご注意ください。

山口きらめーる「やまぐち幕末維新寄り道紀行」

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地図

萩市の地図