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特集「幕末維新の旅」防府市

防府市では、長州藩の史跡を中心にご紹介します。


防府市

「三田尻御茶屋(英雲荘)」 防府市お茶屋10-21 [地図1]

三田尻御茶屋(英雲荘)の写真

三田尻(みたじり)御茶屋は、江戸時代、藩主の参勤交代の休憩・宿泊などのために建てられました。昭和14(1939)年、防府市に寄付され、現在は英雲荘(えいうんそう)と呼ばれています。


畳の写真

内装もとても魅力的!平成8(1996)年から平成23(2011)年に行われた保存修理工事により、毛利(もうり)家の裏紋(※1) である「オモダカ」などが描かれた美しいふすま紙や、金地にチョウや花の模様が彫られた華やかな七宝焼(しっぽうやき)(※2)のふすまの引き手などが復元され、毛利家の栄華を感じることができます。

畳だって、ほら!この通り!縁の模様がピッタリ合っています。

防府市には、「毛利博物館」もあります。こちらも必見です!

  • ※1 家紋の正式な紋の代わりに使う紋。毛利家の裏紋の模様は、矢じりの形をした葉を持つ植物「オモダカ」。
  • ※2 金属などの表面にガラス質のうわぐすりを焼き付けて模様を表わしたもの。

「三田尻御舟倉跡」 防府市三田尻三丁目 [地図2]

瀬戸内海沿岸の要衝地「三田尻」。三田尻御舟倉(おふなぐら)は、萩藩の水軍の根拠地で、勤皇の志士たちにとっても非常に重要な役割を担う港でした。

三田尻御舟倉跡の写真

現在では、その施設の一部しか残っていませんが、この周辺には、それにちなんだ地名が今も残っています。防府市桑山(くわのやま)にある大楽寺(だいらくじ)の釣り鐘は、かつて三田尻御舟倉の鐘楼にあり、時を告げる鐘だったそうです。


「萩往還」道標の写真

防府天満宮へ向かう途中の商店街に「萩往還(はぎおうかん)」の道標があります。萩往還は、江戸時代、城下町・萩(萩市)と瀬戸内海に臨む三田尻(防府市)を結んだ全長約53キロメートルに及ぶ街道です。維新の志士たちも通った道だと思うと、感慨深いですね。

「暁天楼」 防府市松崎町14-1 [地図3]

暁天楼の写真

防府天満宮の参道の途中にある暁天楼(ぎょうてんろう)は、旅籠(はたご)「藤村屋」の建物の一部を復元したものです。階下は漬物置き場、二階には隠れ座敷があります。坂本龍馬(さかもと りょうま)、高杉晋作(たかすぎ しんさく)、木戸孝允(きど たかよし)、伊藤博文(いとう ひろぶみ)など、維新の志士たちが、ここで密談を交したと伝えられています。


芳松庵の写真

隣には、茶室「芳松庵(ほうしょうあん)」があります。こちらでは、室内や庭で抹茶をいただけます。

「大楽寺」 防府市桑山1丁目5-10 [地図4]

大楽寺の写真

吉田松陰(よしだ しょういん)の妹・文(ふみ)は、晩年を防府市で過ごし、大楽寺(だいらくじ)にお墓があります。文は、夫・久坂玄瑞(くさか げんずい)の死後、楫取素彦(かとり もとひこ)と再婚しています。そして激務の夫を家庭から支え男爵の妻として生きていきます。

夫の楫取素彦は初代群馬県令としての業績が知られていますが、防府においても、勤皇の志士の母と慕われた野村望東尼(のむら ぼうとうに)の墓が粗末だったため、桑山に新たな墓碑を建立したり、松崎神社千年式年大祭で総裁を務めるなど多くの業績を残しています。

「富海」

富海の写真

富海(とのみ)は、防府市の東端に位置し、瀬戸内海に面した古くからの漁港でした。江戸時代には小型でスピードの速い飛船(とびふね)が、大坂や瀬戸内海沿岸の地を行き来しました。幕末には勤皇の志士たちの活動にこの飛船が重要な役割を果たすことになります。

「富海宿」 防府市富海2632 [地図5]

富海本陣跡の門の写真

大名行列の休憩や、長崎奉行やオランダ人(出島居留)などの宿泊に利用されました。嘉永6(1853)年9月薩摩(さつま)の篤姫(あつひめ)が江戸に向かう際に休憩したという記録が残っています。

山口きらめーる「おもしろ山口学」

バックナンバーです。イベント等は掲載時のものですので、ご注意ください。

山口きらめーる「やまぐち幕末維新寄り道紀行」

地図

防府市の地図