ほっと人心地山口[巻頭特集] 山口 小路散策「西の京・時の旅人」大内文化の息づく町並みに迷い込む。

中世の町割りが今も暮らしに息づく、西の京・山口。
室町時代のこと。
西国一の守護大名大内(おおうち)氏は、盛んに京洛の文化を取り入れ、山口の町づくりに力を注いだ。
その残像は、この地に色濃く漂う。
大殿大路(おおどのおおじ)、御局小路(おつぼねしょうじ)、錦小路(にしきしょうじ)・・・。
みやびな名を持つ小路に迷い込めば、どこか懐かしい風景や中世の美意識が旅人をやさしく迎えてくれる。

西の京・山口

 山口盆地を見守るように三方を囲む美しい山々。南に開けた平野。中央を流れ、京の鴨川にも見立てられた一の坂川。中世日本の文化の枠を集めて「西の京」とうたわれ、栄華を極めた山口。その面影を残す町並みには、伊勢大路(いせおおじ)や大殿大路を横軸に、いくつもの小路が碁盤の目のように連なる。
 山口の旅は、伊勢大路と竪小路(たてこうじ)が交わるあたりから始めるのがいい。「ようおいでなさいました」と、京言葉にも似たみやびな言葉に迎えられて路地に迷い込めば、日常風景の中に、町家の暮らし、職人の手業などが今も確かに息づいている。
 中世の半ば、周防・長門・石見の守護職として勢力を伸ばした大内弘世(ひろよ)は、この地があこがれの京都の地形によく似ているのを喜び、延文5年(1360)頃、京都に模して町づくりを始めたといわれている。中央には守護所として居館を置き、八坂神社や北野天神(現在の古熊神社)を勧請した。また、京より童を招いて町の辻々に立たせ、田舎言葉を正そうとしたとも伝えられている。
 中世山口の大路、小路の名前は今も生き続けており、路地から路地をさまよえば、600年前にタイムスリップすることができる。

山口古図(山口県文書館蔵)の写真

山口古図(山口県文書館蔵)

現在の周辺地図の写真

現在の周辺地図

竪小路を散策

 今は大内義隆(よしたか)の菩提寺となっている閑静な「龍福寺(りゅうふくじ)」は、「大内氏館跡」にある。歴代大内氏は、約200年にわたって西国一の守護大名として君臨し、大陸との交易で得た莫大な富と権力を基に壮麗な御殿を建て、政務を執った。近くの「八坂神社」境内には、明や朝鮮の交易使節など国内外の客をもてなした大内氏の迎賓館「築山館跡(つきやまやかたあと)」があり、いにしえの栄華がしのばれる。
 室町時代は、連歌が最盛期を迎えたころでもあり、大内政弘(まさひろ)に来遊を進められた連歌師宗祇(そうぎ)は2度山口を訪れている。連歌会が催された築山館跡には、当時の様子を歌った宗祇の句碑「池は海 木ずえは夏の 深山かな」が建てられている。
 当時の山口は、京都、堺、博多などと並び、世界地図にも載るほどの大都市であり、美術、工芸、文学などさまざまな文化が花開いた。
 竪小路を南に下ると造り酒屋の母屋などを利用した「山口ふるさと伝承総合センター」がある。センター内の「たくみ館」では、室町時代からの長い伝統を誇り、輸出品としても珍重されていた漆工芸「大内塗」の歴史を見学・体験しながら学ぶことができる。ここで手描き作業を実演している「大内人形」は、京都より迎えた大内弘世の妻を慰めるために作らせたという伝承がもとになっている。丸い形に柔和な笑顔の男雛女雛を手に取ると、ほのぼのとした気持ちになる。大酒樽で造られた珍しい茶室の円相庵(えんそうあん)、井戸や土蔵のある「まなび館」の庭園にも寄り道したい。
 大内氏時代のメイン・ストリートともいうべき竪小路には、なまこ壁やしっくい窓、千本格子の懐かしくも美しい町家が軒を連ね、工房、雑貨店、茶房、畳店、菓子店、履物店、画廊などが営まれている。ガラガラと木の引き戸を開けて訪ね、機能と美を兼ね備えた町家の魅力に触れるのも楽しい。

瑠璃光寺五重塔(国宝)の写真

瑠璃光寺五重塔(国宝)
足利義満との戦いに敗れた大内義弘の菩提を弔うため、嘉吉2年(1442)に完成。奈良・法隆寺、京都・醍醐寺と並び、日本三名塔と呼ばれる

八坂神社拝殿の写真

八坂神社拝殿
現在の八坂神社境内一帯は、大内氏当主の別館・築山館跡。往時の築山館は、明や朝鮮などの交易使節や諸国大名の使者などを接待する迎賓館としても使われたという

 

大内氏館跡(国指定史跡)の写真

大内氏館跡(国指定史跡)
山口市教育委員会提供
大内弘世以来の居館。歴代大内氏はここで政務を執り、西国の政治の中心となった。復元整備が行われている

大内塗の写真

大内塗
海外との交易品として高値で輸出されていたという

 

文化の十字路

 一の坂川あたりは、かつて大内氏の家臣の屋敷が立ち並んでいたところだ。小さな橋にたたずめば、葉を落とした桜の枝が冬の陽に輝いているのが見える。春になれば桜のトンネルができ、初夏にはゲンジボタルが舞う。その昔、かの雪舟もサビエルもきっとこの道を歩いたことだろう。
 大内教弘(のりひろ)の時代、水墨画家・雪舟は、大内氏の遣明船で明に渡る機会を得るために山口にやってきた。明で1年修行した後も山口に住み着き、全国を旅しながら数多くの名作を残している。雪舟の終焉の地については諸説あるが、その中の1つに永正3年(1506)、87歳で山口の雲谷庵(うんこくあん)にて没したという説がある。

雲谷庵(復元)の写真

雲谷庵(復元)
日本の水墨画の基礎を築いた画聖・雪舟の庵。
87歳で没するまで、数々の名画を残す

 

 天文19年(1550)、山口を訪れ、義隆への謁見の機会を得たフランシスコ・サビエルは、後に「大内殿は、日本最大の領主」と、手紙に書いたという。
 翌年、義隆への2度目の謁見の折には、西洋時計、オルガン、オルゴール、火縄銃、眼鏡、望遠鏡、鏡、緞子、ポルトガルの布、ワイン、書籍、絵画、陶器の13種にも及ぶ西洋の珍しい品々を贈呈した。義隆は返礼にたくさんの金銀や宝物をとらせようとしたが、サビエルは手も触れず、ひたすら布教の許可だけを願った。義隆はその高潔な精神に感激して布教を許可し、サビエルは約半年間山口に滞在している。大内氏がサビエルに与えた大道寺は教会となり、後に歌ミサが行われ、これが日本のクリスマス(降誕祭)の発祥といわれている。
 山口は、東洋と西洋の文化が交わり、大内文化が花開いたところ。路地の向こうに歴史の浪漫が見え隠れしている。

山口ノスタルジックマップ

河村写真館の写真

1.河村写真館
山口県第一号の写真館。明治20年前後に旧士族の松原繁が建てたとされるレトロモダンな洋館

一の坂川の写真

2.一の坂川
いくつもの小路が川岸へと誘う。雪景色、桜、ゲンジボタル、紅葉と、四季折々に美しい

池田屋履物店の写真

3.池田屋履物店
ガラスの陳列棚の中には、赤い鼻緒の下駄やぽっくりが飾られている。下駄を作る小道具も珍しい

三間地醤油店の写真

4.三間地醤油店
醤油(しょうゆ)の香り漂う昔懐かしい商家。土間には、木箱と一升瓶が並ぶ

 

奉仕堂時計店の写真

5.奉仕堂時計店
引き戸をガラリと開ければ、懐かしい店構えや古い時計が迎えてくれる。時計修理の現場に出会えるかも

十朋亭(じっぽうてい)の写真

6.十朋亭(じっぽうてい)
旧家萬代家の離れで江戸時代の建物。幕末の志士たちが集ったことでも知られている

山口ふるさと伝承総合センターの写真

7.山口ふるさと伝承総合センター
かつての造り酒屋を整備し、大内人形などの大内文化をしのばせる伝統工芸品の展示や体験コーナーがある

 

路地は、時代の交差点

アートふる山口テーマ館 大路Lobbyの全景の写真

アートふる山口テーマ館 大路Lobby

 「大殿大路」「堅小路」「錦小路」の四つ辻に建つ嘉藤商店。2階のしっくい壁には、「雑貨文具」の文字。店の前には、自動販売機。このあたりは、まるで過去・現在・未来が出合う時代の交差点だ。よく見れば、町家と町家の間に、人が1人通れるほどの名もなき路地が幾つもあるのに気づくだろう。
 「大殿大路」に歩を進めると、昔ながらの商売を営みながら暮らす町家に溶け込んで、外観の雰囲気はそのままに、内装をモダンにリフォームした町家が軒を並べている。「NPO法人山口まちづくりセンター」によって改修されたものだ。こうした小粋な再生町家を巡るのもいい。若いスタッフたちが、気さくに声をかけてくれる。
 「アートふる山口テーマ館 大路Lobby」は、遠来の客がいつ訪れても笑顔で迎えてくれる観光案内所。散歩途中で立ち寄る地元の人たちとの交流も楽しい。近くには、木組みが美しい「NPO法人 デジタルアーカイブやまぐち『ほたる工房』」がある。ここでは、山口の歴史や生活文化、方言などを記録し、発信している。
 そのほかにも、町家を活用したカフェやクラフト工房、絵画アトリエなどが点在。それぞれオーナーたちが多彩に想像力と創造力を発揮している。山口の「文化維新」は、現在進行形だ。

嘉藤商店の写真

嘉藤商店
大殿大路の四つ角に建つ商家。かつては「百貨店」といわれていた。2階のしっくい壁と窓が美しい

 
インフォメーション

〈山口市観光課〉  TEL 083-934-2810
〈アートふる山口テーマ館 大路Lobby〉  TEL 083-920-9220
〈山口ふるさと伝承総合センター〉  TEL 083-928-3333  (まなび館

 

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