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特集1 「そりのあるかたち、匠の魔術」 澄川 喜一

澄川喜一氏と海老崎粂次氏澄川喜一(すみかわ きいち)

前東京芸術大学 学長
山口県文化特別功労賞 受賞

彫刻家。昭和6年(1931年)、島根県六日市(むいかいち)町生まれ。岩国工業高等学校、東京芸術大学彫刻科卒、同大専攻科修了。日本の美意識を生かした造形を手がけ、作品は全国各地の公共施設にも多数設置されている。平成7年から13年まで東京芸術大学学長を務める。平成10年、紫綬褒章受章。平成14年、第1回山口県文化特別功労賞受賞。シンフォニア岩国名誉館長。


 岩国のシンボル・錦帯橋は、昨年十一月、半世紀ぶりの架け替え工事をスタートさせた。名づけて「平成の架橋」。五つのアーチ橋のうち、まずは今年三月までの第一期工事で中央・第三橋の架け替えが完了し、現在、その部分からは真新しい木の香りが漂っている。

 そんな橋を土手から見つめ、「本当にいつ見てもきれいだなぁ。バランスが実にいい。周囲の風景にもぴったり合っている」と澄川喜一氏。この春、第一回山口県文化特別功労賞を受賞した氏の作品は、山口県庁前庭を飾る「鷺舞の譜」をはじめ全国各地で独自の空間芸術として親しまれている。

 この日は、架け替え工事に携わる棟梁・海老崎粂次氏(岩国伝統建築協同組合理事長)を相手に、錦帯橋から感じ取れるさまざまなパワーについて話が弾んだ。

藩主悲願の橋

 幅五メートル、長さ百九十三・三メートル(橋面に沿って二百十メートル)、木造橋としてわが国最大の文化遺産・錦帯橋。およそ三百三十年前に創建された初代の橋は、「錦川で隔てられた城下町・横山と錦見を『流されない橋』で結びたい」という三代目藩主吉川広嘉公の悲願をかなえたものだった。それまで架けられてきた橋は、錦川の増水や洪水のたびにことごとく流失していた。頭を悩ませた広嘉公は明の僧・独立禅師が示した『西湖游覧志』に描かれた石橋の図を見て、西湖に浮かぶ小島のような石造の橋脚を錦川にもいくつか築き、そこにアーチ型の橋を架けることを思いつく。参勤の際、甲州大月近くの桂川で見た橋脚のない「猿橋」の工法も参考に構想が練られ、大工・児玉九郎右衛門らの試行錯誤の末、延宝元年(一六七三)、見事な木組みの橋が創建された。

 初代のその橋は完成翌年に流失したが、直ちに再建された二代目の橋は昭和二十五年(一九五〇)のキジア台風で流失するまで、時折修理を加えられながら二百七十余年の風雪に耐えた。続いて再々建された三代目、そして今回架け替えられる橋も、すべて初代と同じ木造・五連のアーチ橋である。

木と職人との闘い

 木造のアーチ橋。それは、自然の素材「木」の特性と職人との闘いの中で造り上げられていく。

錦帯橋図錦帯橋冬景色
左 錦帯橋図(伝 渡辺永喜 1807年) 右 錦帯橋冬景色(作者不詳江戸時代後期 徴古館(ちょうこかん)蔵

 「架け替えに当たっては、一六九九年作の『錦帯橋掛替図面』などの史料を調べたりもしましたが、組み立て方法の記述はほとんどありませんでしたし、実際、木を一つひとつ選び、それぞれのクセを読みとって使いこなしていく技法は数字や図面で伝えられるものではありません。材となる木と職人との一対一の闘いですからね」と海老崎氏。

 架け替えが決まった平成十年(一九九八)から大工有志による勉強会を始め、江戸時代の図面をもとに原寸型板を作る一方で、現存する三代目の橋を綿密に観察して木組みの技法や、どの部分にどんな材を使っているかを目で学び取っていったという。

 橋の材は、マツ、ヒノキ、ケヤキなど。とくに桁材に使われたケヤキは、暴れ木とも呼ばれるほど堅く、思いどおりに使いこなすのは至難の技。しかし、だからこそ丈夫で橋桁に適した材といえるのだ。「そういう木の特性を知りぬき、あえて暴れ木を使って丈夫で美しい橋を作ろうとした江戸時代の職人の心意気と技は、桁材、鼻梁、後梁、帯鉄など、橋を構成するあらゆる要素から力強く感じ取れます。そのパワーを我々もしっかり受け継ぎたい。昭和の再建の際の大工たちも同じ想いだったはずです」

 海老崎氏の言葉にうなずきながら、「木は真直ぐではなく、ゆがんだり、節を持っていたりする。そういう特性と真剣に対峙し、個性を生かしながら作られた錦帯橋は、私の造形の原点にもなっています」と澄川氏。

第1期工事の様子 写真 第1期工事の様子

造形の原点

 澄川氏の出身は島根県六日市町だが、終戦を迎える昭和二十年に岩国工業学校(後の県立岩国工業高等学校)に入学、青年期の六年間を岩国で過ごした。絵が好きで工業学校を選んだ澄川少年は、終戦後の混乱の中にも自由が到来したその時代、いよいよ絵をかくことに熱中し、とりわけ錦帯橋を写生し続けるうちに木造建築に関心を寄せるようになった。「絵をかくために橋をじーっと観察していると、この木は何だろう?とか、橋の構造が気になり始めていろいろと調べるようになったんですよ」

 木造建築・錦帯橋を掘り下げて調べていくうちに、やがて奈良・東大寺南大門の仁王像に出会う。像の用材は鎌倉時代、俊乗房重源上人によって県内・徳地から運ばれたことを知り、重源上人の像を求めて防府の阿弥陀寺も訪ねた。

 絵から造形へ。恩師の影響もあって、次第に興味が移行し始めた頃、岩国地方を襲ったキジア台風により錦帯橋が流失するさまを目の当りにした。いつもは穏やかな錦川が大洪水となり氾濫。驚く間もなく石の橋脚が崩壊し、木組みの美しい橋がゆっくりと流れ落ちていった。「ショックでしたね。夢のような、映画のスローモーションシーンを見ているような気もしました。家までどうやって帰ったのか覚えていないほどです」

 台風が過ぎ、ようやく大水が引いた川には、そりかえった橋の残骸が横たわっていた。日々、描きつづけてきた美しい橋の無残な姿。それは、「橋が流れていくとき、自分の血を分けたおじいさんが亡くなるような痛みを感じた」という澄川少年にとってつらい光景ではあったが、半面、それまで懸命に見上げてきた橋の構造をいちだんと間近に観察する絶好の機会でもあった。「弓なりにそりかえった錦帯橋の造形美を支える木組みのありさまは、強烈に心に刻みこまれました。後で考えると、あれが彫刻をやろう、と決意するきっかけになったのかもしれません」

キジア台風で流れおちる錦帯橋 写真キジア台風で流れおちる錦帯橋 写真
キジア台風で流れおちる錦帯橋(提供/岩国市)

そりとの出会い

 木橋の長さは一般的に百尺(三十・三メートル)が限界とされるが、錦帯橋の一つの橋はさらに五メートル余り長く、およそ百二十尺。海老崎氏は「技術の限界に挑んでいる橋です」と胸を張る。

 アーチ橋の場合、そり高が高く、アーチの描く曲線が円形に近いほど橋の強度は増す。しかし、錦帯橋のアーチはあくまでもなだらかな曲線を描き、周囲の風景にも溶け込んで美しい景観を形成している。「安全性と美しさのぎりぎりの境目を見事に保っているところにも昔の職人の技が感じられますね」と両氏は口をそろえる。「雨が多い日本では、神社仏閣などを建築する大工は、そりのある軒を作る技術を身につけていました。錦帯橋が中国などの極端に丸っこいアーチ橋とは異なる緩やかなそりを描いているのは、その成果ともいえるでしょう」と海老崎氏。ここにも、気象現象との闘いの結果もたらされた技の力がみられる。

 澄川氏の心に刻み込まれた錦帯橋の姿は、東京芸術大学を卒業し彫刻家となった氏の創作活動に大きな影響を及ぼしていった。昭和五十四年に平櫛田中賞を受賞以後、「そりのあるかたち」が氏の主要テーマになっている。「あるときアトリエに届いた木材が、山での面影を残すように弓なりにそっているのを見て錦帯橋を想い起こし、あの『そり』を表現してみよう、と思い始めたんです」

 「そり」という言葉は日本独自のもの。ニューヨークでの個展でも「SORI」とそのままローマ字書きにした。「私のいう『そり』は、英語のcurb(カーブ)やbent(ベント)のような曲線とは違う。『そり』という日本語には、たとえば『あの人とはそりが合う』というようなニュアンスもある。そういう言葉の響きとか行間に秘められたものまで含めて表現したい。さらに、日本刀に見られる※そり・とぎ・むくりの要素も加えて」木や石の特性を生かしたシャープな造形に秘められた日本的感性…。各地でモニュメントとして目にする氏の作品には、錦帯橋から感じ取った木本来の力と、人の技の闘いのパワーが秘められている。

そり:穏やかな曲線を描いた刃を下に向けると刃の両端が上がって見える形状
  むくり:同じく刃を上に向けると刃の中央が盛り上がって見える形状
  とぎ:刃の表面をなめらかにしながら無駄なゆがみを直していくこと

 もちろん、澄川氏の創作活動に刺激を与えたのは錦帯橋だけではない。法隆寺、東大寺などの建築物や、そこに安置された仁王像なども同様の存在だ。折しもこの日、橋のやや上流の河川敷では、架け替えを終えた第三橋の解体材オークションが開催されていた。盛況ぶりを伝えると、「僕は東大寺の仁王像の解体を見に行ったけど、確かに徳地の材だとわかったし、像の中から鎌倉時代の湯気が出て来るような気がして、感激しました。みなさんにも古い錦帯橋に込められているものを感じとって大切にしてほしい」と橋に目をやりながら静かに応えた。

そりのありかたち 匠の魔術錦帯橋 写真

そして、未来へ…

 昨年十二月まで東京芸術大学の学長を務めた澄川氏には、当然、文化の進展と継承についても深い想いがある。「世界に誇れる造形美をたたえた文化財・錦帯橋の価値を、一人ひとりにしっかり受けとめてほしいですね。その意味で架け替えは大きなチャンス。より多くの人にこの橋の魅力を知ってもらうこと、そして、記念館や資料館のような総合的なメモリアル施設を作ることも考えたいものです」と語る口調には一段と熱がこもった。「記念館の建築にこそ解体材を生かして、足跡の残った踏み板を壁材にしたり、天井には帯鉄をつけたままの梁材を使ったらどうかな。音響もいい、コンサートにも最適の建物ができると思いますよ。そんな記念館で錦帯橋の歴史と架け替えの記録を保存し、展示してほしいですね」

解体された錦帯橋の橋材のオークション
橋材 写真橋材 写真橋材 写真

 解体材から漂うであろう半世紀前の湯気は、現在を生きる我々、そして未来の人々にも多くのエネルギーを伝えてくれるに違いない。

 完成したら、地元の小学生全員に渡ってもらって、世界にも類のないこんな素晴らしい橋が出来たという共感と感動を若い人が感じ取ってほしい。それが教育であり、文化財の継承になるんです」

 はるか三世紀前、藩主の悲願を担って架けられた錦帯橋の内なるパワーは、技を通して現在に受け継がれ、未来を拓こうとしている。


インフォメーション錦帯橋架橋工事の予定

半世紀となる錦帯橋の架け替え(平成の架橋)は、平成十三年度から十五年度の渇水期(冬期)に現地で作業が行われます。工事期間中は、架け替え部分ごとに迂回路(仮設道路)が設置され、現橋の解体や架橋本体工事の現場作業を見学しながら、錦帯橋を渡ることができます。普段目にすることのできない目線からの新たな発見。錦帯橋の持つ造形美、木造建築物の神髄を垣間見ることができます。

第一期工事…第三橋(中央部)
 平成十三年十一月〜平成十四年三月

第二期工事…第四橋・第五橋(横山側)
 平成十四年十一月〜平成十五年三月

第三期工事…第一橋・第二橋(錦見側)
 平成十五年十一月〜平成十六年三月



岩国

広島県に隣接する岩国市は江戸時代、吉川(きっかわ)六万石の城下町として栄えた。清流・錦川に架かる錦帯橋を中心に、 1 岩国城が立つ城山の麓・横山には、緑豊かな吉香(きっこう)公園、吉川家の資料を展示する吉川史料館や小説「宮本武蔵」(吉川英治著)に登場する 2 佐々木小次郎の像、 3 徴古館(ちょうこかん)、武具が並ぶ岩国歴史美術館、武家屋敷の目加田家(めかたけ)住宅、国の天然記念物シロヘビのいる白蛇観覧所など見どころが点在。ロープウェーで城山へ上れば、錦帯橋や城下町、瀬戸内海までが見渡せる。車で5分の場所には、岩国出身の作家 4 宇野千代(うのちよ)の生家(土・日曜と祝日のみ公開)がある。

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岩国夏の風物詩は、錦帯橋の 5 鵜飼(うかい)[6月1日〜8月31日)。古式ゆかしく、幻想的なシーンは川辺からでも観覧船でも楽しめる。錦帯橋・夏のクライマックスは、8月第1土曜日に開催される 6 「錦川水の祭典」。色とりどりの花火が名橋と清流、夜空を彩る。

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参照サイト

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