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CIRレポート・1010

ページ番号:0017576 更新日:2021年11月1日更新

CIRレポート 10月号

中国の中秋節

国際交流員 祝 恒(中国)

中国には様々な祝日があります。その中に、近代になって、外国から伝来したバレンタイン・デー、クリスマスなどがはやっているほか、古くから伝わってきた伝統的なものもたくさん残っています。それぞれの特徴は以下のようになります。

  • 春節(The Spring Festival、旧暦1月1日)――4000年の歴史がある中国民間で最も重要な祝日です。この日から新しい年に入るので、年が過ぎたという意味で「過年」という別称もあります。この日に、春聯(「シュンレン」、字数が同じく、構成が類似しており、意味では繋がりのある二句の詩文)を貼って、年賀の挨拶をして、爆竹を鳴らして、餃子を食べて、一家団欒するのが習慣です。

01_餃子02_春聯

  • 元宵節(Lantern Festival旧暦1月15日)――「上元節」とも言います。伝統行事は「花燈祭り」(提灯祭りに似ている)を見ることと「元宵」(団子に似ている)を食べることです。
    03_元宵
  • 清明節(4月15日)――墓参りの日です。
    04_ちまき
  • 端午節(Dragon Boat Festival、旧暦5月5日)――本名「端五節」です。「端」は「初め」の意味で、「5日」が不吉なので、中国語発音が一緒である「午」で引き換えたものです。昔は菖蒲を家に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりする習慣もありましたが、今は粽を食べることとドラゴンレースしか残っていません。
  • 七夕(旧暦7月7日)――毎年この日だけにしか会えない恋人同士の物語から由来しています。簡単に言うと、中国のバレンタイン・デーのことです。
  • 中秋節(旧暦8月15日)――満月を見る日です。
  • 重陽節(旧暦9月9日)――高所に登って、「重陽酒」(菊の花で作られているお酒)を飲みながら、菊の花を見ることで、故郷と離れている家族を懐かしむ日です。今は敬老の日でもあります。

今日紹介するのは旧暦の8月15日の中秋節です。

中国と日本は古来から名月を鑑賞する習慣があります。名前としては、中国では「中秋」といい、日本では「月見」といいます。中国の旧暦から見ると、7月、8月、9月は秋であって、8月がちょうどこの秋の真ん中に当たるから中秋といわれています。中国の月見は中秋の一日だけであるのに対して、日本の月見は二日間(十五夜と十三夜)です。その中、十五夜は中国から伝来したもので、十三夜は日本特有のものだといわれています。

一方、「中秋節」の由来は、民間の説によると、古代の皇帝たちは春の2月25日に太陽を拝み、秋の8月15日の夜に月を拝む慣習があります。これが後世の諺「祭日祭月不宜迟,仲春仲秋刚适时」(太陽と月を拝むのは遅くなってはいけない、春と秋の真ん中がちょうどいい)です。皇帝が春に太陽を拝み、秋に月を拝むため、家来たちもその真似をして、時間がたつにつれて、このような風習は民間にも伝わっていきました。

また、中秋について、いろいろ伝説と民話があります。その中、最も伝えられてきたのは次の話です。

昔々、空には10の太陽がありました。地上は焼け付くように熱くて、川は干上がって、農作物や木々が枯れて、人々は暮らせなくなってしまいました。

そのとき、弓の名手後羿(「ホーイー」)が弓に矢をかけて、9の太陽を次々と落としました。最後に残った太陽は、それを恐れて「早朝にのぼり、夕方に沈む」という後羿の命令に従いました。こうして、気候が順調になって、万物がすくすくと伸びて、人々は平和に暮らせるようになりました。その後、彼は嫦娥(ジョウガ)を妻として、幸せな生活を送りました。

05_嫦娥

ある日、後羿は西王母(中国の伝説の女神)からもらった不老不死の薬を嫦娥に保存させました。しかし嫦娥は、8月15日にこの薬を飲んで、月にある「広寒宮」という宮殿へ舞い上がらされてしまいました。妻が月へ去ったと聞いた後羿は、悲嘆にくれて嫦娥を思いました。毎年8月15日になると、庭にテーブルを置いて、嫦娥がいつか戻るように彼女の好きな果物を供えています。それを見た人々が、それを真似して、嫦娥を祭ることが習慣になったといわれています。

06_月餅①

中国人にとって、中秋節には月餅が不可欠なものです。月餅は、月のように丸いので、家族の団欒を象徴しています。その中身は、餡子のほかに、ココナッツ、蓮の実、胡桃、杏仁、木実、塩蛋を入れたものなど、様々なバリエーションがあります。最近では月餅型のアイス(冰皮月餅)なども販売されており、伝統にこだわらない新しい形が出ています。

月餅の由来について、元朝末年、朝廷が国民の反乱を怖れて、いろいろな過酷な規則を作りました。例えば、民間人が鉄の武器を持つのを禁止しました。十戸で包丁を一つだけ持つことを許しました。そのため、たくさんの人が朝廷に恨みを持ちました。朝廷の残虐な統治を打倒するために、張士誠(陳友諒、朱元璋と共に天下を取ろうとした三人の有力者の一人、元朝朝廷に投降した後、戦で明朝皇帝朱元璋に滅ぼされた)という人が中秋節に月餅を送りあう風習を利用して、中秋の日に反乱を行うと書いた紙を月餅に入れました。その結果、民衆が密かに紙を読んで、統治者を倒すために戦いました。それから、月餅を食べる習慣は続いています。

07_月餅②

月餅の価格は、高いものから安いものまでさまざまです。値段の高い月餅は、中国の福州で、竜の模様が付いている柱と金のライオンで飾られている月餅で3888元(約5万円)、剣で飾られている月餅で9999元(約13万円)というものもありました。一方、安い月餅は、1パック10個入りのが100元(約1300円)しかしません。

現在の中国には、お世話になった人に月餅を贈る習慣があります。地方によって形も大きさもさまざまで、店に並べられる月餅の種類もたくさんあります。そして、月餅は目上の人に贈るだけでなくて、慰労の意味で従業員や後輩、部下にも贈ります。