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CIRレポート・c1305
CIRレポート 5月号(中国)
いつまでも忘れえぬ歌声 永遠のテレサ・テン
国際交流員 紀 興民(中国)
17年前の1995年5月8日に亡くなった一人の女性に、世界中の人々の心が引き付けられました。「テレサ・テン」はただの名前ではなく、一つの時代の思いを伴った記憶でもあります。この名前とともに人々の最も優しい思い出が呼び出されます。今も、この記憶は世界文化歴史を表す重要なシンボルになり、永遠に人々の心の中で生きています。
テレサ・テンといえば、彼女も山東省と深い関わりがあります。
彼女の母の故郷は山東省泰安市東平県(赤丸の所)で、私と同郷なのです。
そこで、ここでは、いつまでも消えない歌壇のスーパースターを紹介したいと思います。
テレサ・テン「中国名:とう麗君(デン・リーチュン Deng Li Jun)」、本籍は河北省大名県。父、とう枢原は河北省大名県出身で、母は山東省泰安市東平県の出身。1949年、父は家族を連れて、国民党部隊と共に台湾に移住しました。そして、1953年1月29日、テレサ・テンは台湾省雲林県龍岩村で生まれました。
幼い頃から優れた歌唱力・音楽の才能が既に現れ、14歳のとき歌壇にデビュー。
やさしく、真摯な歌声、奥ゆかしいイメージと粘り強い性格で、日本のみならず中国大陸、台湾、香港などアジアの数多くの地域で絶大な人気を誇りました。
20世紀の歌壇の世界的スーパースターは、20世紀後半、日本で最も人気のある歌手の一人になりました。
「中国人のいるところにテレサ・テンの歌声あり」、「十億人の拍手」(十億人が拍手を送る)といわれるほど絶大な名誉も手に入れました。
台湾、香港、日本、東南アジア、アメリカなどの地域で活動し、中国語、日本語、英語、広東語、福建語、インドネシア語など1000曲余りを発表し、アジアのポップスと文化間の交流に大きく貢献しました。
1985年、1986年、1991年と、紅白歌合戦に3回も出場し、1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』及び『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞しました。
そして、1995年5月8日、静養のため、たびたび訪れていたタイ・チェンマイのホテルで気管支喘息による発作のため42歳の若さで亡くなりました。