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知事発言集・「山口大学シニアサマーカレッジ」 :「住み良さ日本一の元気県 やまぐち」

ページ番号:0011420 更新日:2006年8月29日更新

講演する二井知事会場の様子

はじめに

 皆さん、今日は。ただいまご紹介いただきました山口県知事の二井関成です。
 日本で初めての大学施設を使った本格的なシニアサマーカレッジ<外部リンク>が、本県の、山口大学<外部リンク>で開催され、さらに私が、全23講義の最初の講義をさせていただくということで、大変名誉なことと感謝しております。
 皆さんには、残暑厳しい中、県内外、全国各地から、ここ山口県においでくださいまして、ありがとうございます。
 長い方でこれから2週間、多彩な講義の受講や、大学図書館・学生食堂などの大学施設の利用、そして受講者相互の交流を通して、30年以上前の青年に戻って、大学生活を謳歌していただければと思います。
 さて、私が初めて知事に就任したのは、21世紀を目前に控えた1996年、平成8年8月です。知名度も全くない中での知事選挙でしたので、とにかく名前を覚えてもらいたいと、知事選では、「二井」は数字で言えば「21」だとか、21世紀の「二井」だとか、「二井」を「一位」にとか言って戦いました。もちろん、出馬に当たって私自身が数字の「21」に込めた思いは、「21世紀の山口県を元気にスタートさせる」「21世紀の山口県の新たな発展基盤、基礎を創り上げる」という強い思いでした。
 したがって、私は、「21」には運命的なものを感じ、特別な思いで「21世紀の新しい山口県づくり」にチャレンジしています。
 ちなみに、私は野球が大好きですが、7年前、山口きらら博のPRのために、甲子園球場の阪神、巨人戦で始球式をした時の野球のユニホームは21、自家用車のナンバーも21、ゴルフのハンディも21です。そして、後ほどご紹介させていただきますが、この秋、山口県で開催します日本最大の文化の祭典、国民文化祭も、21回目となっています。

始球式で投球する二井知事

 ところで私の愛読書は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。この大河小説は、松山出身の歌人正岡子規と軍人秋山好古、真之兄弟の3人を軸にしながら、日露戦争の勝利まで、如何に明治の若者達が、新たな国づくりという坂の上の「一筋の雲」を目指し、希望に燃え、登っていったか、その青春群像を描いた感動的なドラマです。
 講義テーマの「住み良さ日本一の元気県やまぐち」は、私の県づくりの目標であり、「坂の上の雲」ですが、どうか、皆さんも、このシニアサマーカレッジを通して、ご自分の「坂の上の雲」を見つけられることを願っています。

Part1 歴史を転換する舞台・山口

 さて、それではパート1「歴史を転換する舞台・山口」について、お話します。
 本日出席者の方の中には、県内にお住まいの方もいらっしゃいますが、多くは県外からおいでいただいた方とお聞きしていますので、まず、「ひと」と「歴史」を中心に山口県の紹介をしたいと思います。
 本州の西端に位置する山口県は、三方が海に開かれ、中央部を東西に中国山地が走り、大きくは、瀬戸内海沿岸地域、内陸山間地域、日本海沿岸地域の3つに分けられます。
 まず、三方が海に面しておりますことから、全国第6位の約1,500kmに及ぶ海岸線を持つ海は、穏やかな多島海美の瀬戸内海と、北長門海岸国定公園に代表される荒々しい浸食海岸美の日本海という異なった表情を持っています。
 一方、中国山地の西端に位置する山々は、その懐に、我が国最大のカルスト台地と鍾乳洞を擁する秋吉台国定公園などの景勝地を抱き、四季折々の変化に富んだ顔を見せてくれます。なお、昨年、秋吉台地下水系が、国際的に重要な湿地として、ラムサール条約の登録湿地と認定されました。今後、秋芳洞、秋吉台の魅力を、より多面的に、全国に向けて発信したいと思っています。
 このように、山口県は、美しい海、山、川に囲まれ、気候は温暖で風水害や地震も少なく、自然環境には抜群に恵まれています。

(1) ひとのくに山口

 山口県は、そのような自然環境の中、様々な分野で、多くの人材を育んでまいりました。
 皆さん、山口県出身の著名人として、すぐに頭に浮かぶ人は誰でしょうか。今、最も話題の方と言えば、安倍晋三内閣官房長官でしょう。
 山口県からは、これまで、初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、佐藤栄作先生まで、全国でもトップクラスの7人の宰相が出ています。
 今、国政には、国の将来を左右する重大な懸案事項が目白押しですが、安倍長官には、何としても8人目の総理になっていただき、難局に立つ日本をリードしていただきたいと願っています。
 次に思い浮かぶのは、吉田松陰、高杉晋作といった幕末・維新の激動期に活躍した人達でしょうか。幕末・維新関係は、明日以降、「高杉晋作の手紙」「ペリー来航と吉田松陰」「長州ファイブ」などと題して、萩市長さんほかの専門家の方からの講義がありますので、皆さん、楽しみにされているのではないかと思います。
 山口県は、政治関係の人材が目立ちますが、文化人も輩出しています。

 まず、ここ山口市の湯田温泉で生まれましたのが、中原中也です。昭和初期に活躍した詩人ですが、その名声は死後高まり、年とともに評価があがっており、湯田温泉にある記念館には、若い女性を中心に訪れる人が後を絶ちません。まだ行かれていない方は、是非お立ち寄りください。
 そのほかにも、童謡詩人の金子みすゞ、放浪の俳人・種田山頭火、「おはん」を書いた宇野千代、「放浪記」の林芙美子、などの個性的な文学者も多く出ています。

山口県が輩出した文学者

 さらに、現在活躍されている山口県出身の人で、特に身近に感じる芸能界の人をご紹介しますと、映画監督の山田洋次さん、作詞家の星野哲朗さん、男優の細川俊之、原田大二郎、前田吟さん、その他、西村知美、松村邦洋さんなどの人気タレントもいらっしゃいます。また、亡くなられていますが、田中絹代、木暮実千代、松田優作さんも山口県出身です。このように、過去から現在まで、多くの人材を輩出してきた山口県ですが、その県民性はどうでしょうか。
 山口県民は、「情熱的」「理想主義的」、裏返すと、「純粋」だけど、「観念的で、現実的でない」とよく言われます。
 維新に向かって突き進んだ長州の勢いには、情熱的に、理想を追求しようとする県民性が表れています。
 しかし、維新の志士たちが、諸外国相手に立ち向かおうとしたことを考えると、現実把握に欠けるところがあったというのは、当たっているのかもしれません。
 痛い目に遭わないと分からない、純粋というか、自分が信じてきたものを、そう簡単に捨てることができないのかもしれません。
 21世紀のスタートの年、2001年の夏に、山口県で、ジャパンエキスポ「山口きらら博」を開催しました。きらら博の話は、後ほどさせていただきますが、そのきらら博の時に、県外のプロデューサーや広告代理店の方から、こんな話がありました。
 「これまで多くの博覧会に関わってきたが、他の県ならすんなり受け入れられる提案が、山口県ではなかなかゴーサインが出ない。これで間に合うのかと心配になるほど、徹底的に議論された。しかし、議論して、一旦決めると、疾風怒濤のごとく実行に移し、やり遂げてしまう。」と。
 綿密かつ論理的で、悪く言うと理屈好きだけれども、組織力と粘り強さもあるということだと思います。利害を飛び越えてなりふりかまわず突き進むことは、奇兵隊でも分かるように、長州人集団の特徴のようです。

(2) 弥生人の渡来、源平の戦い、そして明治維新

 さて、「山口大学シニアサマーカレッジ」のサブタイトルは、「歴史を転換する舞台・山口にて」となっています。
 山口県は、我が国の歴史の転換点に、舞台となったり、主役となったり、様々な形で登場し、その存在感を示してきました。
 こうしたことから、山口県は、よくNHK大河ドラマの舞台になります。最近では、平成9年「毛利元就」、平成15年「武蔵」、平成16年「新撰組」、そして昨年は、「義経」があり、壇ノ浦の戦いでの滝沢秀明演じる義経の八艘飛びシーンは記憶に新しいところです。

大内氏時代の勢力図

 山口県には、いまでも至る所に歴史が存在しています。
 ここ山口市は、「西の京」と呼ばれています。室町時代、豪族大内氏は、今の山口県地方を中心に、一時は、石見、筑前、豊前、紀伊、和泉の国も支配し、博多港や堺港を有し、幕府に迫るほどの勢力を持っており、京都の佇まいや文化に強く心を引かれ、京の都を手本とした街づくりをしたことから、こういう名で呼ばれるようになりました。

 今でも、山口市には、「大殿大路」や「伊勢小路」、「竪小路」という京都風の地名がありますし、「八坂神社」や「祇園祭」などもあります。
 この大内氏は、大陸諸国との経済・文化交流を盛んに行い、また、「雪舟」など国内の文化人も多数招いています。
 日本にキリスト教を伝えた「フランシスコ・ザビエル」も、この大内の時代に日本初の教会を山口に建設しており、翌年に行われたミサが日本のクリスマスの発祥と言われています。山口市内には、我が国の3大名塔と言われる瑠璃光寺五重塔など、大内時代の史跡が多く残っています。
 西国に咲いた大内文化は、日本のルネッサンスとも言われており、日本の歴史にとっても重要な位置づけがされています。

弥生人の渡来…第1の転換点

 時代は前後しますが、山口県が最初に歴史を転換する舞台となりましたのが、弥生人の渡来を物語る国指定史跡土井が浜遺跡です。
 大陸をのぞむ下関市豊北町の土井が浜では、昭和30年前後の発掘調査において、弥生時代の人骨が300体あまり出土し、初めて弥生人の顔・かたちが判明しました。
 彼らの顔・かたちは、前代の日本列島に住んでいた縄文人とは明らかに異なる形質的特徴を持った人々であることが証明され、大陸から新しい文化をもたらした渡来人のものと考えられています。この遺跡の頭の骨は、あたかも、はるか西北の大陸をのぞむように顔を向けられて埋葬されていたということです。
 土井が浜遺跡は、縄文時代から弥生時代への転換点の舞台であったのです。
 現在、土井が浜には、我が国で唯一の人類学専門の博物館「土井が浜遺跡・人類学ミュージアム<外部リンク>」があります。また、近くには、昨年、「四日間の奇蹟」という映画の舞台にもなりました、コバルトブルーの海が美しい角島という島もあります。是非お訪ねください。

源平の戦い…第2の転換点

源平の戦い

 次に、山口県が舞台となりましたのが、源平最後の決戦「壇ノ浦の戦い」です。
 源氏と平家の戦いは、瀬戸内海を一ノ谷から屋島へと、西に戦場を移動しながら進み、関門海峡・壇ノ浦で最後の決戦を迎えました。
 その戦いの詳細は省略しますが、結局、平氏は、壇ノ浦に追い詰められ、わずか8歳だった安徳天皇が「二位の尼」、念のために言っておきますが、この人は、私とは無関係ですが、「二位の尼」に抱かれ海に飛び込み、滅亡しました。
 源平最後の合戦、壇ノ浦の戦いは、これまで貴族社会だった日本を、武家社会へと大きく転換させる転換点であったと思います。

幕末・維新…第3の転換点

 そして3度目が、幕末・維新です。武家社会から近代社会への転換点です。
 1863年、長州藩は、攘夷を実行するため、他藩に先がけ、関門海峡を通る外国の船を2度にわたり砲撃しましたが、近代的な兵器を備えた列強の反撃にあい、あえなく敗れてしまいました。
 さらに、翌年には、4国の連合艦隊と関門海峡で大規模な戦争を行い、惨敗してしまいますが、2度の敗戦により、外国の強さを思い知らされた長州藩は、講和後は、急速にイギリスに接近し、それまでの素朴な尊皇攘夷論を、開国・尊皇倒幕論へと大転換しました。
 その後、幕府との2度にわたる戦争を行い、勝利をおさめたことにより、また、新しい社会を求める民衆の動きなどにより、幕府は大政奉還を行い、時代は明治へと移っていきました。
 関門海峡は、武家社会の出発点となった壇ノ浦の源平合戦からおよそ700年後に、はからずも武家社会を終わりに導く歴史の転換の舞台に再びなったのです。

ふり返れば未来

 私は、「ふり返れば未来」という言葉をよく使います。
 高度成長期を経て、成熟期に入った日本社会は、現在、確実にやってくる少子・高齢社会など、5年先、10年先がどうなるのか、一体、どんな未来、社会があるのか、先行きが見通せない状況にあります。
 こんなときは、いくら前方に目を向けても、未来は見えてこない、歴史を転換してきた山口の過去をふり返り、同じ先の見えなかった前近代の生き方、生きる知恵に学ぶとき、はじめて未来が見えてくる、未来が見えたら、自信と誇りを持って前へ進んでいこう、これが「ふり返れば未来」ということです。
 そのような思いも込めて、これからの地方自治、県づくりについて、話を続けてまいります。

Part2 時代は再び大きな転換期に

(1) 「中央集権型システム」から「地方分権型システム」へ

 現代社会は、今、大きな変革期にあります。
 先進諸国へキャッチアップする目標も一応達成され、日本はすでに、成長社会から成熟社会に移行しています。人々は、経済的な「ものの豊かさ」から「心の豊かさ」を求めるようになり、その価値観も多様化しています。さらに、今までどおりの右肩上がりの成長は見込めず、高度成長期にはうまく機能していた社会・経済システムも、その変革が必要となっています。中央集権から地方分権への本格的な動きもその一つです。

中央集権から地方分権へ

 国に権限や財源が集中する「中央集権」の制度は、人材や資金、資源を首都東京に集中させ、効率的な運用を行いますから、「先進諸国に追いつけ、追い越せ」という、経済的な豊かさを追求する時代には、よく機能し、高度経済成長を生み出しました。しかし、住民の価値観が多様化する中、中央集権的システムによる画一的な対応では、住民ニーズにきめ細かく対応していくことが困難となっています。

三位一体の改革

 皆さん、「三位一体の改革<外部リンク>」という言葉を、特に昨年、しばしばお聞きになったと思います。
 三位一体改革とは、「国から地方へ」という地方分権を進めるために、地方の裁量が広がるよう国庫補助負担金の廃止・縮減と、地方の仕事に見合った税源移譲、地方交付税の見直しを同時にバランスよく進めようというものです。
 三位一体改革での私どもの主張は、国の役割は、「国でなければできない仕事」、すなわち、外交、防衛など国家の存立に関する問題や、社会保障や経済など政府がリーダーシップを持って全国的な観点から進めなければならない課題に限定すべきであり、それ以外の権限や財源は国から地方に移譲すべきであるということです。
 皆さんからは、国と地方の単なる“お金”の分捕り合戦にしか見えなかったかもしれませんが、国庫補助金を廃止し必要な税財源を地方に移譲すれば、住民のニーズを踏まえた弾力的な施設整備や活用ができるようになりますし、スピーディな対応が可能になってきます。
 また、身近な所に税財源があることによって、住民による監視もし易くなってまいります。
 私は、今こそ、明治以来続いてきた中央集権型システムから、地方分権型システムへ転換し、地域のニーズや実情に応じながら、地方自らが地域づくりに主体的に取り組むことができるように、早急にしなければならないと考えています。

市町村合併、中核都市づくり

 特に、地方分権を進めていくためには、住民に最も身近な市町村が住民ニーズに的確に対応できる体力、知力、別の言葉で言えば、地方分権の受け皿になれる力を付けること、すなわち、市町村の財政基盤を強化し、政策・行政能力を高めていくことが重要です。
 そのための最も有効な手段が市町村合併ですが、ご承知のように、ここ数年、全国的に市町村合併への取り組みが進み、7年前には約3,200あった市町村が、今は約1,800程度と、4割以上減少しています。

中核都市形成に向けた合併の組合せ

 山口県においても、市町村合併を積極的に進め、その結果、県内の市町村は、4年前には56でしたが、現在は、22と約4割になっています。
 しかし、山口県にとっての大きな悩みは、多くの県に見られるような人口30万人以上の県全体をリードする中核都市がないということです。

 山口県の都市は、瀬戸内海側に、西から、下関、宇部、山口、防府、周南、岩国と、下関市の29万人を最高に、人口10万人台の都市が分散し、一方、日本海側には、萩市と長門市という人口規模の小さい都市があるという、都市構造になっています。
 県としては、さらに合併を進め、現在の22市町を9市とする構想を進める中で、30万人以上の中核都市づくりに努力していきたいと考えています。

道州制に対する考え方

 このように市町村合併が進み、その機能が強化されれば、県の役割や枠組みも見直す必要が出てきます。
 今年の2月には、内閣総理大臣の諮問機関である地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」を発表しました。
 この答申の中では、区域例として、全国を9道州、11道州、13道州の3例を示しています。山口県は、中国5県のパターンと、中・四国9県の2パターンとなっています。
 私も、長期的には、道州制への移行が望ましいと考えています。
 ただ、それは、地方分権型システムとしての道州制への移行でなければならないと考えています。そのためには、国と地方のあり方を抜本的に見直す大きな変革として行うべきであり、中央省庁の再編・縮小や地方支分部局の廃止・縮小を含む国の改革と一体で行う必要があります。
 このように考えますと、道州制は、「国と地方のかたち」を変える大改革になります。国と道州の役割分担、道州の権限や税財源のあり方、枠組や移行方法など多くの課題があり、道州制のメリットを具体的に示して議論を喚起するなど、国民的なコンセンサスを得るための取組が必要であり、その実現に至るまでには、相当な時間と労力を要するものと考えられます。
 したがって、私は、将来の道州制も視野に入れながら、当面、現在の都道府県制度の下で、国、市町、県民等との関係の中で自らのあり方を見直し、可能な限りの地方分権の取組を進め、地域の自立性を高めていきたいと思っています。

(2) 人口減少社会の到来

 続いて、もう一つ、時代の転換期と考えられるのが、人口減少社会の到来です。
 有史以来、一時期を除き増加を続けてきたわが国の人口は、昨年をピークに減少に転じました。
 また、国の機関が推計したわが国の将来人口は、長期的・継続的に減少するとされ、今後百年の間に、人口は半減すると予測する人もいます。
 わが国は、これまで人口増加による豊富な労働力や需要の拡大等を背景に高い経済成長を実現し、社会保障制度もこのような人口構造を前提として構築されてきました。しかしながら、本格的な人口減少・少子高齢時代においては、こうした前提は成り立たず、その前提の上に描かれた海図は、我々に安全で確実な航路を指し示してはくれません。人口減少・少子高齢社会では、労働力人口の減少による経済規模の縮小や高齢化の進行に伴う社会保障面での負担の増加など、マイナス面の影響が懸念されています。こうした中で、本県の人口は、昭和60年以降減少を続け、ついに、昨年10月の国勢調査においては、149万2,575人と、58年ぶりに150万人を割ってしまいました。

人口予測

 前回の平成12年の国勢調査に比べ、2.3%減少しましたが、これは残念ながら、全国で6番目の人口減少率となっています。
 さらに、国の機関による山口県の人口の将来推計では、25年後には、約120万人と、現在より30万人、約2割減少し、中でも、子どもや働き盛りの世代が大きく減少し、高齢者が全人口の3分の1を超えるものと予測されています。

人口減少対策の取組

 こうした人口規模の縮小、人口構造の変化は、本県の産業経済や福祉、教育、暮らしといったあらゆる分野に、様々な影響を及ぼしていくと考えられます。
 したがって、県としても、これまで、人口定住対策として、県内就職の促進や雇用創出、出生・育児支援等の諸施策を積極的に推進してきましたが、近年の県人口の減少傾向を踏まえ、今年度、対策を再構築し、その取組を強化することにしました。
 ここでは、人口減少の抑制に向けた新たな取組を2つご紹介します。
 1つが、少子化対策の新たな取組として、結婚に向けた若者の出会いの場を創り出す事業を開始しました。
 この事業は、民間の団体やグループから、独身男女が自然な形で出会えるイベント・活動の企画を募り、実施していただくもので、7月に公募したところ48グループから55の企画の応募があり、公開プレゼンテーションなどを経て、11企画を採択しました。
 出会いの成立という効果も当然期待していますが、この事業は、県の置かれている少子化の現状について、県民に認識していただくことも目的としていますので、民間の知恵でおもしろく楽しくやっていけたらと思っています。もう1つが、2007年問題とも呼ばれていますが、来年度から始まる団塊の世代の大量退職に当たり、団塊の世代の方に、本県へ移住・定住していただくための総合的なUJIターンの取組です。
 まず、UJIターンを考えておられる方に対し、山口県で、住み、働き、地域とふれあうための情報を総合的に提供するためのUJIターン支援サイト<外部リンク>を、今月初めに立ち上げました。県のホームページから入れますので、是非ご覧いただきたいと思います。このほか、県内、東京、大阪の県の窓口でのワンストップサービスの開始や、セミナーの開催、定住支援ハンドブックの作成なども行うことにしています。
 山口県では、すでに5年前に、全国に先がけて「生涯現役いきいきプラン」を策定し、高齢者の知恵や経験を地域づくりに生かしたり、社会参加を通じて、「楽しみ」「喜び」「生きがい」を感じてもらうことで、生涯にわたり、いきいきと活躍できる「生涯現役社会づくり」という取組みに、いち早く取り組んでおり、一昨年11月には、生涯現役を考え行動する全国唯一の学会として、「生涯現役社会づくり学会<外部リンク>」を山口県立大学に設立しました。
 人口が減少傾向にある中、高齢者のパワーの発揮が益々重要になってきますので、生涯現役社会づくりの面でも、全国のモデルになるよう、頑張っていきたいと考えております。
 このように、今後も、人口減少の抑制対策を強化していきたいと考えていますが、私は、長い目でみれば、「住み良さ日本一の山口県」を目指すことが最も重要なことであると考えています。

Part3 「住み良さ日本一の元気県」づくり

(1) 今なぜ「住み良さ」なのか

 そこで、私が新たな県づくりの目標としている「住み良さ日本一の元気県づくり」について、お話します。
 時代の転換期にあって、時代の変化に対応するためには、地域独自の目標や新たな価値を見いだしていかなければなりません。
 そのためには、当り前のことですが、まず、住民のニーズが何なのかということを、しっかりと考えることが大切です。成熟社会に突入し、物質的に満ち足りていく中で、人々は、「ものの豊かさ」だけでは幸せだとは感じなくなり、「ゆとり」や「やすらぎ」など「心の豊かさ」を求めるようになっています。
 一方で、近年相次いでいる大規模地震をはじめとする災害や、健康を脅かすSARS、BSEの発生、さらには、高齢者や幼児など弱者をねらった犯罪の増加など、安全とか安心というものが、当然のように与えられるものではなくなっていますし、効率性や経済的合理性の追求、あるいはグローバル化の波の中で、自分や自分が大切にするものが埋没したり、喪失したりするのではないかという危惧さえも持つようになるなど、今の生活や将来への不安が高まっています。
 このような中で、人々は、まず、安全が確保され、基本的な安心が備わった環境の中で、自分の望むライフスタイルを選択することができ、なおかつ、そのことに満足感や生きがいを持ちたい、そういう暮らしに直結したニーズが増大しているのではないでしょうか。
 住民の生活の場である地域社会は、そういうニーズを満たせるような地域づくりを進めていかなければならないと考え、私は、こうした地域づくりを、今、「住み良さ日本一」の県づくりとして進めているのです。

「自助」「共助」「公助」

「依存型」から「自立型」へ

 もちろん、こうした生活者の視点に立った地域づくりを進めていくためには、行政だけではなく、その主体である住民自らの意識や行動がとても重要となってきます。地方分権の社会にありましては、住民の意識も、「依存型」から「自立型」へ変わっていくことが必要であり、その方向に発想を転換していくことが求められています。
 そのため、私は、よく「自助」「共助」「公助」ということをお話します。
 まず、自分たちでできることは自分たちで、家庭でできることは家庭で行うという「自助」、そして、個人が社会の一員として、お互いに助け合って問題解決を図るという「共助」、どうしてもできないことを、公がサポートする「公助」ということです。
 特に、「自助」については、かつてイギリスの作家サミュエル・スマイルズが、明治の多くの若者の心をとらえたと言われる「自助論」の中で、「自助の精神が、その国民全体の特質となっているかどうかが、一国の力を見る際の正しい尺度になる」と述べています。
 この言葉は、「国」を「県」に置き換えれば、「自助の精神が、その県民全体の特質となっているかどうかが、その県の力を見る際の正しい尺度になる」ということであり、まさに地方分権の時代にふさわしい言葉になります。
 これからの県づくり、地域づくりにあたっては、県や市町村という行政だけではなく、地域で暮らし、活動している人たちの知恵や力を結集し、県全体の総合力、いわゆる県民力を発揮することが重要になってきます。
 私は、住み良い地域とは、暮らしやすい環境があるということはもちろんですが、県民一人一人がお互いに支え合いながら、それぞれが自発的に努力をし、力を発揮していけるような地域であると考えています。
 もちろん、こうした「住み良さ」はどの地域にも求められるものですが、表面的な便利さや快適さをつくるなら、どうしても、大都市が経済的にも有利ですし、これを突きつめると、結局は、一極集中になってしまいます。
 そのような中で、「山口県の住み良さ」を創り出すためには、地方特有の風土や文化、さらには、人と人とのつながりや、思いやりの心など、地方が培ってきた資源を活用し、地域独自のアイデアと工夫で、オリジナルの「住み良さ」を創造していくことが非常に大切であり、そのことが、地域のアイデンティティ、地域らしさを高めていくことにもつながると思います。
 ですから、地域としては、いかに資源を多く持つか、それを見出し、そして、それを磨いていくか、また、うまく生かしていけるかということが鍵になります。
 そうしてみますと、私は、山口県は、「住み良さ」については、かなりポテンシャルが高い県だと思っています。

「多様性」と「バランス」による「住み良さ」の追求

産地によって形の違うサザエ

 いきなりですが、皆さんは、外洋に面した荒海に生育するサザエと、おだやかな内海に生育するサザエとでは、形が異なっているということを御存じですか。
 波の荒い外洋の岩礁に住んでいるサザエは波にさらわれて転がらないよう、殻の角が長く出ています。逆に、養殖や波の静かなところで育ったものは角がないのです。
 山口県では、日本海でとれる角のあるサザエ、瀬戸内海でとれる角のないサザエ、2種類のサザエが水揚げされています。

 このように、サザエ一つをとっても違いがあるように、山口県は、多様性に富んだ県です。
 私は、よく、山口県の紹介をするときに、水産県のほか、観光県、教育県、工業県、さらには環境県でもあり、多彩でバランスのとれた県ですと話しています。
 恵まれた自然環境や、豊富な歴史・文化、人づくりに向けた情熱と意欲的に新しいものを取り入れる進取の気風が自慢の防長教育の伝統、さらには、整備された道路交通網や情報通信インフラなど、快適な住環境づくりに必要な資源を多く持っています。
 また、基礎素材型産業に特化した本県の産業構造は、高い生産力や高度な技術力を持ち、暮らしには欠かせない雇用や活力という面でも、重要な資源の一つとなっています。
 このように、すでに山口県は豊富な資源を持っており、それを生かした施策展開により、県民生活の幅広い分野において、バランスのとれた住み良さができあがりつつあります。
 したがって、この多様性を保ちながら、バランスを失うことなく、住み良さを伸ばしていくことが、「住み良さ日本一の元気県づくり」に向けた戦略であると私は考えています。

(2)住み良さの基本は安心・安全

鳥インフルエンザへの対応

 「住み良さ日本一の元気県」をめざす時、私が、まず基本と考えていますのが、「県民の安心・安全」を守るということです。
このことを再認識させられる事件が、一昨年1月に、山口県で起きました。あの「鳥インフルエンザ」です。
 日本国内で79年ぶりに山口県で発生しましたが、その後、大分、京都へと拡大し、食生活を脅かす大問題となりましたから、皆さんも記憶に新しいのではないかと思います。
 発生したのは、山口県阿東町の養鶏農場です。鳥インフルエンザは、山口市の北部に隣接する、りんごも採れ、米所でもあり、スキーもでき、SLが走る、標高400mの高原のまちで起きました。こののどかな町が、一転、騒然となりましたし、私も、その報告を受けたときは、まさに前例のない事態が発生したわけですから、一瞬戸惑いました。

鳥インフルエンザへの対応

 しかし、直ちに家畜伝染病予防法の規定に基づき、発生農場に対して防疫対策を開始すると同時に、国の方針に基づき、菌の拡大を防ぐため、発生農場から周辺30kmの範囲内の養鶏農家、養鶏農場に対し、卵やブロイラー等の出荷制限、移動制限等の措置を講じました。
 79年ぶりという事態でもあり、防疫作業に従事する県職員はどのような服装がいいのか、まさに現場で考え、白い防疫服に、防護マスクとゴーグルを着用して、顔の一部のみが露出するという、いわゆる「山口スタイル」を編み出しました。

 その後、京都でも同じ服装をされていたようですが、この山口スタイルが参考とされたのです。
 さて、現場対応は専門集団にまかせるにしても、私は、知事の役割は何か、対策をスムーズに進めるには、私は何を判断したらいいか考えながら、毎朝、関係幹部職員を集めて対策を練り、必要な指示をしました。そして、発生4日後に、移動制限区域内の卵を「県は単独でも買い上げる」ことを発表しました。
 発生農場から30km以内の制限区域内には、卵を産ませるために飼っている鶏が約100万羽いたのです。鶏は1羽当たり、1日に0.9個の卵を産みますから、毎日毎日、90万個の卵が増え、このエリア内に貯まっていくことになります。
 先ほど申し上げましたように、出荷制限がかかっていますので、この卵は出荷できない、その制限がいつまで続くかわからない、そして、それに対する国や県の支援があるかどうかもわからない状況の中、卵を貯め続けなければならない養鶏農家の気持を考えたとき、そして、防疫対策に協力してもらうためには、養鶏農家の経済的不安を解消することが最も必要だと判断したのです。
 ただ、卵の買上げには、当時、大雑把に見ても、約3,400万個、3億円くらいかかりそうでしたし、しかも、県の措置に対する国からの支援があるかどうかわかりませんので、県の財政状況を考えますと、大変厳しい状況になるとは思いましたが、まず、皆さんに安心して協力していただけるようにしなければならないと、卵の買上げを決断しました。
 後から聞いた話ですが、卵の買上げを発表する日までは、県の担当部署に、養鶏農家から死活問題だと電話が毎日あったそうですが、この発表によって、電話もなくなり、関係職員も防疫対策に集中することができ、マニュアルに定める最短期間で、すべての対策を終え、終息宣言を出すことができました。
 この卵の買上げについては、その後、国が2分の1を助成してくれましたが、最初は、農林水産省は「これは山口県の中だけで起きている話だから、山口県の中だけで対応したら良いのではないか」という大変冷たい反応でしたが、何度も何度もねばり強く話をし、この問題の重大さを徐々に理解してもらい、最終的には、卵の買取り価格の半分を国も支援しようということになりました。
 私は、あの映画にもなった浅間山荘事件で指揮を執られた佐々淳行氏の著書から、危機管理の要諦である「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」など、様々なことを学んできましたが、トップは、何か起こったとき、現場でしっかりと対応ができるような仕組みをつくっていくことが大切ですし、県民や県全体にとってどうなのか、国全体ではどうなのか、という広い視野をもって、前例にとらわれずに、スピーディに決断し、実行していかなければならないことを、鳥インフルエンザへの対応を通じて、再確認をいたしました。

自然災害への対応

 もう一つ、県民の安心・安全に関して、自然災害への対応についてお話したいと思います。
 今年の梅雨は、全国各地に大きな被害を及ぼしました。「平成18年7月豪雨」と名付けられた記録的な大雨により、鹿児島県や長野県を中心に多数の死傷者が出ました。
 幸い山口県は大きな被害はありませんでしたが、昨年の台風14号では、県東部を中心に甚大な被害が発生するなど、予期せぬ自然災害に対する、人々の不安は大きくなっています。
 災害時において特に重要なことは、住民の命を守るために、避難勧告等を、いかに住民の皆さんに迅速・正確に伝達していくのか、あるいは体の不自由な障害者や高齢者の方々が、避難が必要な時に、どういう形で避難所まで避難をさせていったらいいのか、ということです。
 山口県は高齢化率が26%を超え、全国で5番目に高齢化が進んでおり、また県土の7割が中山間地域、そして、21の有人離島、人が住んでおられる離島があります。

自然災害への対応

 私は、山口県のこのような特性を踏まえ、特に、「災害時要援護者対策」と「中山間・離島地域防災対策」の2点については徹底的に検討すべきと考え、有識者や防災関係者、市町村職員やボランティア関係者など、多くの専門家の方との議論を重ねた上で、今年の2月、対策をとりまとめました。
 その内容については時間の関係上省略しますが、特に、皆さんに申し上げたいことは、「災害は忘れた頃にやってくる」という名言がありますが、今や忘れる暇もなくやってくるということです。どうか、まずは「自分の命は自分で守る」ことから始め、準備をしっかりしておいていただくよう、お願いします。
 今、世の中は、表面的なもの、目立つことに目が行きがちですが、私は、こうした防災対策だけでなく、防犯、医療、食の安全など、県民の皆さんが、安全に、そして、安心できる環境づくりを、地味ではありますが、「住み良さ日本一」の県づくりを進める上での基本であるとの考え方のもと、これからも全力で取り組んでいきたいと考えています。

(3)「やまぐち住み良さ指標」による推進

 さて、「住み良さ」を伸ばすための本県独自の取組が、「やまぐち住み良さ指標」です。
 昨年、山口県の「住み良さ」について、20才以上を対象とした3,000人の無作為抽出による県民アンケート調査を行ったところ、「住み良い県だと思う」、「どちらかと言えば住み良い県だと思う」という回答を合わせると、およそ9割に達しましたし、年代別でみてみると、20才代では94.2%と、若い年齢層も、山口県は住み良い県であると思っていただいているという結果が出ました。
 また、時事通信社が実施している各都道府県の「住みやすさ」に関するアンケート調査でも、山口県は常に上位にランクされており、昨年5月の調査では、総合満足度は全国4位となっています。
 このように高い評価を受けている本県の「住み良さ」を、県や市町村、県民の皆さんとの共通の理解のもと、知恵と力を結集して、さらに高めていくためには、その具体的な目標像を共有しておかなければなりません。

やまぐち住み良さ指標

 具体的なかたちで何をどのように高めていくのかを、客観的な指標を使ってお示ししていきたいと考え、市町村や県民の皆様から、いろいろな意見をお聴きしながら、昨年10月、全国比較が可能な56の指標を、「やまぐち住み良さ指標」として取りまとめ、公表しました。
 子どもからお年寄りまで、生涯の様々なライフステージにおける「住み良さ」を考え、暮らしの「安全」をはじめ、「居住環境」、「健康と福祉」、「子育て・人づくり」、そして「働く環境」の5つの分野ごとに、それぞれ具体的な指標を立てて、現在の状況がどうなっているのか、全国でどのくらいの順位、水準になっているのかということを示しております。
 5つの分野ごとの総合指標について、全国数値で偏差値化し、レーダーチャートで示していますが、偏差値の50、この点線の外側に出ている指標は、全国レベルを上回っているもので、点線の内側にある指標は、全国レベルを下回っているものです。
 これを見ますと、総体的に全国平均を超えるものが多く、バランスの取れた「住み良さ」が出来上がりつつあると考えられます。
 分野別にそれぞれ見ますと、まず、「安全」に関する指標です。総じて全国レベルで高いことが分かると思いますが、この中で、例えば、「自主防災組織率」は、全国順位が33位とまだまだ低い状況にあり、その向上を目指し、市町に強力に働きかけています。
 次に、「居住環境」では、「ブロードバンド世帯普及率」がありますが、これも、全国順位で33位となっています。山口県は、「やまぐち情報スーパーネットワーク」という、県独自の高速大容量の光ファイバー網を県全体にはりめぐらしていますが、幹線はできたものの支線はまだ十分でないということです。市・町の中でのネットワークをどう創り出していくかが、これからの課題です。
 次に、「健康と福祉」では、全国平均ということですが、少子・高齢化が進む中、医療や福祉面での充実に向けて、関連する施策や取組を一層推進していかなければならないと思っています。
 次に、「子育て・人づくり」です。子育て支援では全国トップレベルの対策を講じていますし、高校生の就職決定率も全国第2位と、高い水準にあります。
 次に、「働く環境」です。御覧いただくと一目でわかりますが、民間企業における障害者雇用率は、全国第1位となっています。
 このような取組みは全国でも初めてですので、これからも内容を改善充実していかなければなりなせんが、この住み良さ指標を活用して、本県のよいところは、さらに伸ばし、他県に比べて十分でないところは、関連する施策や取組を重点的・集中的に進め、ランクアップを図っていき、レーダーチャートでいえば、高い水準でバランスのよい形となるように、「住み良さ日本一の県」になるよう、全力で取り組んでまいりたいと考えています。

(4) 地域資源の活用による“らしさ”の創出

 そして、こうした県民の安全・安心を守ることを基本に「住み良さ日本一の県」を目指しながら、私が、今特に重視しておりますのが、本県の多様な地域資源を活かしながら「山口県らしさ」を創り上げていく取組です。
 ここでは、山口県の産業構造に関連したプロジェクトの一部を紹介します。

山口県の産業構造の特色

 山口県は、戦後、瀬戸内海沿岸地域に石油化学コンビナートが形成され、全国有数の工業県として発展してきました。
その後、産業構造の転換高度化に取組み、マツダやNECなどの進出もありましたが、産業構造は、依然として、セメント、化学等の基礎素材型に特化しており、製造業に占める基礎素材型産業の生産額の割合は70%近くと、全国1位となっています。

ごみの資源化

 このような産業構造のもとで、私は、こうした産業特性を活かし、「ごみ問題」に取り組めないか、産業界、大学などの研究機関、そして行政の、いわゆる産学官、山口県では行政にNPOなど公益的な存在も加えて、産・学・公と言っていますが、産学公が連携・協働して検討し、先進的なリサイクルシステムを創り上げてきました。
 その一つは、年間約4万トンもある家庭から出る一般ゴミの焼却灰を普通セメントの原料にリサイクル利用するという取組です。平成14年4月から民間ベースでスタートさせました。山口県では、この事業により、これまで埋立て処分されていたゴミの焼却灰の約80%がセメント原料化されています。このような全県的な取組は、山口県が初めてです。
 また、ペットボトルのリサイクルについても、繊維などの原料として再利用するところまでは他地域でも取り組まれていますが、山口県では、周南市にある化学企業、帝人ファイバーが、使用済みのペットボトルからペットボトル原料を繰り返し再生するという、世界初の完全循環型リサイクル技術を開発し、全国の市町村が回収するペットボトルの約25%に当たる年間6万2千トンの処理能力を有する施設を国と県の支援で整備しております。
 今、石油価格が高騰しておりますが、この事業により、エネルギー量を3割程度節約できるため、地球温暖化防止のためにも非常に有効な技術であると考えております。
 ただ残念ながら、現在、ペットボトルを中国が高く買うものですから集まりにくくなっています。
 さらに、廃プラスチックをダイオキシンなどの有害物質を出さずにガス化し、アンモニア等化学工業原料にする、国内初のリサイクル技術も開発され、関連会社で操業を開始しています。

水素の活用

水素フロンティア構想

 また、周南地域では、コンビナート内のソーダ工場で、ソーダを造る過程で大量に発生する水素ガス、これを副生水素と言いますが、これを活用する取組を進めています。
 ご承知のように、水素エネルギーは、燃料電池など次世代のエネルギー源として注目を集めていますが、山口県の副生水素の供給可能量は全国の14%を占め、全国一を誇ります。
 これは、燃料電池自動車の約120万台の年間燃料消費に必要な水素の量に相当します。
 現在、その多くは化学製品の原料やボイラーの燃料として使用されていますが、山口県では、これを燃料電池の燃料として活用しようと、「水素フロンティア山口」と銘打った施策を展開しており、昨年は、電気と給湯の家庭用燃料電池コージェネレーションシステムの実証実験を行い、電池の実用性については目処が付きましたし、さらに、一般家庭でのモデル的な使用など実用化を目指し、ガス管の安全性等の具体的な研究を行うなど、水素の幅広い活用に向けた取組を進めています。

知的クラスター

 また、宇部地域においては、高い工業機能や、山口大学の医学部や工学部など学術研究機能が集積しているという特性を活かして、現在、山口大学で独自に培われてきた白色発光ダイオードなどの光技術を基盤に、最先端の次世代医療機器の開発等を図る、いわゆる「うべ・メディカル・イノベーション・クラスター構想」に取り組んでいます。
 山口大学で研究されている白色発光ダイオードは、自然光と変わらない色映りの良さや照度の強さが大きな特徴でして、この特長を生かし、これまで発見が困難であった僅かな病変、初期段階での腫瘍や潰瘍などを見つけることのできる内視鏡の開発など、次世代医療機器の開発に取り組んでおり、医療の分野でも大きな飛躍につながると期待しております。
 この構想が実現すれば、1,800億円の生産効果や2,000人の新規雇用創出効果があると見込まれています。
 さらに、基幹となる白色発光ダイオード等に係る製造・応用技術や工程を地域に根付かせば、そこから、その技術を活用して、新たな事業展開がされたり、ベンチャー企業が生れるということも期待できますので、全国のモデルともなり得る新産業創造のリーディング事業として、大学、企業、行政が連携した取組をさらに進めていきたいと考えています。

森林バイオマスエネルギーとしての活用

 次に、森林資源の活用です。山口県は、県土の7割を森林が占め、竹林面積は全国第4位の竹の多い県です。
 ただ、林業を取り巻く環境の厳しさなどから、間伐などの手入れが行き届かず、繁茂した竹林も増えて問題となっています。

森林バイオマスエネルギーの活用

 間伐材や伐採された竹などは、今は利用されないままですが、これを「バイオマスエネルギー」として活用すれば、石油等の化石燃料と違って再生が可能ですから、二酸化炭素の増加のない、環境に優しいエネルギーとなります。
 このため山口県では、平成13年度に、全国に先がけ「やまぐち森林バイオマスエネルギープラン」を策定し、これまで、(1)既設の石炭火力発電所で、間伐材を石炭に混焼して発電するシステム、(2)間伐材などをガス化して発電するシステム、(3)木質ペレット燃料を使ったボイラーで冷暖房や温水の供給を行うシステムという3つのシステムに積極的に取り組んでまいりました。
 このような、間伐材など森林資源の供給から、エネルギーとして利用するまでの一連のシステム、それも色々な利用形態で使う複合的なシステムの構築は全国で初めてで、今、大変な注目を浴びています。

 昨年12月には、国の「バイオマスエネルギー地域システム化実験事業」のモデル地域としての指定を受け、平成21年度を目標に、地域のエネルギーシステムとして実際に利用できるものにしていくことにしています。この山口県での取組の成果が、全国に普及されていくことになりますから、責任は重大だと思っています。
 なお、昨年の「愛・地球博」では、地球環境問題の解決と循環型社会づくりに貢献する地球環境技術100件が表彰されました。そのうち、日本の受賞は55件でしたが、さらにそのうちの4件が山口県からでした。これまで、説明した「ペットボトルのリサイクル」、「廃プラスチックのガス化」、「森林バイオマスエネルギーのガス化発電」の3件と、時間の関係で説明しませんでしたが、秋芳町の企業が開発した「年間を通して15~18度と安定している地中熱を家屋内に循環させ、夏涼しく冬暖かい環境を実現するシステム」です。
 私は、本県の特性を活かしながら、こうした環境産業の育成や立地の促進を支援しながら、循環型社会づくり先進県を目指していきたいと考えております。

Part4 「県民力」「地域力」の向上~ホップ・ステップ・ジャンプ~

 さて、歴史の転換期にあって、本県がめざす「住み良さ日本一の元気県」に向けた様々な取組についてお話ししてまいりましたが、このような取組は、地域で暮らし、そこで活動する人たちの総力を結集して進めていかなければなりません。そのためには、県民一人一人の持っている力をうまく結びつけ、「県民力」「地域力」として高めていくことが何よりも大切です。
 私は、かねてから、山口県を元気にしていくためには、県民パワーを結集する大きな舞台が必要であると考え、2001年、21世紀のスタートにあたり、ジャパンエキスポ「山口きらら博」を開催しました。県民の皆様の一致団結した取組により、大成功を収め、やればできるという自信につながったと思っています。
 この「やればできる」という自信、私はこれを「きららスピリット」と言っていますが、このきららスピリットを、「きらら博」から5年後の今年、文化という視点から県民パワーを結集したいという思いで開催するのが、「国民文化祭」です。
 さらに、その成果を、5年後の2011年の「国民体育大会」へ繋げていく、5年きざみの全国規模のイベントを活用し、「ホップ・ステップ・ジャンプ」と、「県民力」、そして各市町の特性を生かした「地域力」を高め、山口県を「住み良さ日本一の元気県」にするというのが、私の戦略です。

「県民力」「地域力」の向上

(1) ホップ 県民パワー発揮の舞台「山口きらら博」

 「山口きらら博」は、「いのち燐めく未来」をメインテーマに、キーワードは元気とし、“モノ”ではなく“いのち”という視点から、人、自然、産業、地域社会のあり方を考えようという博覧会でした。
 開催前には、「もう博覧会の時代ではない」「どうせ失敗するよ」と言われたり、同じ時期に、福島と北九州でも、地方博覧会が開催されたことから、山口県の苦戦が予想されていました。
 ところが、こうした予想を大きく裏切り、「山口きらら博」入場者数は79日間で、目標の200万人を大きく超える251万人余と、福島や北九州と比べて、入場者数で圧倒的にトップを切ることができ、大成功を収めました。

自立・協働・循環

 また、私は、山口きらら博での県民パワー発揮の過程で、「自立」「協働」「循環」が、今後の県づくりで、県民、市町村と共有すべきキーワードであることを学びました。

きらら博成功の秘訣

 「自立」とは、「自分ですべきことは自分で」という主体性と役割分担意識をしっかり持つということです。
 「協働」とは、それぞれが持つ個性や特性を認め合い、持ち寄り、活かし合い、その相乗効果で、個々の能力の総和を超えた力を生み出し、1+1が2ではなく、5にも6にもなるように、地域の総合力を高めていこうということです。

 そして「循環」ですが、「きらら博」では、企画・運営に参加してくれた県民スタッフやボランティア等の、あの猛暑の中での「自立」「協働」による対応の素晴らしさが、来場者に大きな感動を与え、口コミで拡がっていき、このことがスタッフやボランティア等自身へも伝わり、その対応に一段と磨きがかかっていきました。会場内に、来場者の「評価する、誉める」、スタッフ、ボランティア等のその「期待に応える、頑張る」という「好循環」が生れたのです。
 したがって、「循環」とは、自立・協働の様々な活動を通じて、地域資源をうまく活用することによって、地域の中に、人・物・心の良い「循環」を創っていこうということです。

(2) ステップ 心ときめく文化維新「国民文化祭やまぐち」

国民文化祭やまぐちの開催意義

国民文化祭やまぐち2006

 21世紀のスタートに開催した「山口きらら博」は、山口県の県民力が開花した博覧会として大成功を収めましたが、続いてのステップは、まもなく、今年11月に開催する「国民文化祭」です。
 国民文化祭と言いましても、なかなかなじみがないと思いますが、国体の文化版だと思っていただければいいと思います。昭和61年に東京都大会がありまして、それ以降、各都道府県が持ち回りで行っています、わが国最大の文化の祭典です。
 お手元に資料もお配りしておりますが、11月3日から12日までの10日間の文化の祭典です。

 のちほど国民文化祭ビデオも放映しますので、簡単にお話しますが、基本テーマは、「やまぐち発 心ときめく文化維新」です。
 山口県人というのは、何かあれば「維新」という言葉を使うとよく言われますが、DNAとして維新というものが体の中に染みついているのではないか、維新、文化維新という言葉に、「21世紀の新たな文化の創造にチャレンジする」という、強い思いを込めています。
 その思いを込めて、11月3日のきららドームでの開会式・オープニングフェスティバルでは、県民手作りのミュージカル「燦めきの地 やまぐち二千年」を上演します。
 この開会式・オープニングフェスティバルと閉会式は、県が行いますが、音楽、演劇、伝統芸能などの分野別のフェスティバル、県内各地で、100を超えますが、これは、開催される市や町で実行委員会を設けて、各地域に密着した形で行われます。
 したがって、それぞれのフェスティバルが果たして成功したかどうかによって、それぞれの地域の文化度や、結束力がある地域なのかどうか、「地域力」が試されるわけですから、「山口県まるごと国民文化祭」になるよう、今、各地域で懸命の努力が重ねられています。

山口大会の特徴的な取組

 今回の山口大会では、これまでの国民文化祭にない、いくつかの特徴的な取組を行っています。
 そのうちの一つが、「子ども夢プロジェクト」です。
 国民文化祭の中で、子どもたちの夢やアイデアを実現してもらうという、山口県が独自に創設した国民文化祭史上初の取組です。
 130件の応募の中から、29件のプロジェクトを採択しました。これを、みんなで支えて、将来、子どもたちが大きくなって、今の自分があるのは、国民文化祭の時にやったプロジェクトのおかげだと言ってもらえるようにしなければいけない、という思いで取り組みたいと思っています。
 また、この国民文化祭をPRするために、県民の自主的な取組として、「文化維新おひろめ☆たい志」という全国初の取組も行っています。
 平成16年12月の制度発足後、現在まで、約800団体、構成人数約24万人と、そのネットワークの輪が大きく広がってきています。
 また、県内外から100万人の方々が来られますので、県を挙げて「おもてなしの心」でお迎えするために、県では「国民文化祭やまぐちボランティアセンター」というものを設置しておりまして、延べ10,000人の県民ボランティアが活躍できる環境を整えています。これもきらら博の時のノウハウが十分生かされています。

国民文化祭の成果の継承

 国民文化祭というのは、「お祭り」という字が書いてありますが、当然のことながら、単なる一時的なお祭り騒ぎに終わらせてはいけないと思っています。
 先ほど言いました「子ども夢プロジェクト」ももちろんそうですが、それぞれの地域にどのような文化があるのか、過去をふり返りながら文化を再発見していただき、また、交流をしながら新しい文化を創って、飛躍できたらと思っています。

(3) ジャンプ 県民の英知と情熱で創る「国民体育大会」

山口国体に向けて

 そして、県民力、地域力の向上をめざした、ジャンプの舞台が、平成23年の山口国体<外部リンク>です。
 先月、山口県が第66回国民体育大会の開催地として内定を受けました。本県にとっては、昭和38年の第18回大会以来、48年ぶりの開催となります。
 国体は、国内最大の総合的なスポーツの祭典であり、国民的スポーツ行事として今日まで引き継がれていますが、課題もまた顕在化しています。

 開催地に求められる多大な財政負担や、また、トップアスリートにおいては、国体への参加が必ずしも最優先とはなっていないという状況があります。
 こうした中で、日本体育協会では、大会の充実・活性化と大会運営の簡素・効率化を図ることとされ、今年の兵庫国体からは、夏と秋の大会を一本化するとともに、平成20年の大分国体からは、選手・監督の参加総数を15%削減するなどの改革が進められています。
 今回の山口国体は、こうした国体改革への取組や現下の厳しい財政状況を十分に踏まえ、これからの国体に期待される意義・役割をしっかりと見据え、スポーツを愛する人々の心に、21世紀の山口県を強く印象づける国体として開催することが求められていると考えています。
 くどいようですが、ホップ・ステップ・そして大きなジャンプで、「県民力」、「地域力」を高め、山口県のさらなる飛躍につなげていく、「住み良さ日本一の元気県山口」にしていく、これが私の戦略です。

おいでませ山口へ<外部リンク>

 以上で、お話したいことはほぼ終わりました。シニアサマーカレッジの最初の講義ですから、山口県の紹介を兼ねた講義をと思って、お話させていただきましたが、山口県の過去から現在、そして未来について、少しでもご理解いただけましたら幸いです。
 去る8月4日、5日、小泉首相が山口県の観光地視察のため、下関市、萩市、山口市などを訪問されました。私も、一部同行しましたが、小泉首相から、「山口県は、実に素晴らしい観光資源がある。PR不足だね。」と、厳しいご指摘をいただきました。

おいでませ山口へ

 来月には、私自身が、東京と名古屋の旅行会社や交通事業者を直接訪ね、旅行商品づくりなどを要望することにしていますが、これからも先頭に立って、山口県の魅力を売り込んでいくことにしています。
 皆さんには、このサマーカレッジを通じ、山口県の良さをぜひ実感していただき、そして、ファンといいますか、山口県のサポーターとなっていただきますとともに、このカレッジを契機に、皆様のパワーを様々な分野で発揮されますよう期待し、私の講義を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。