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山口城跡(山口藩庁跡)発掘調査の成果

ページ番号:0246080 更新日:2024年2月21日更新

1.山口城跡を発掘しました!

調査主体者:山口県観光スポーツ文化部文化振興課
場所:山口県山口市滝町1番1号(山口県庁内)
期間:令和5年7月18日~8月7日
主な成果
(1) 埋没土塁の発見
(2) 幕末の土木技術の解明
地図
発掘調査地の場所(国土地理院地図に加筆)
発掘調査の場所(航空写真)
発掘調査地の場所(航空写真)

2.山口城跡とは!?

 山口城跡は、萩藩主毛利敬親が、幕末の元治元年(1864)10月に萩城(山口県萩市)に代わる新たな居城として建設した城の跡です。
 史料では「山口新屋形」と表記され、地域の歴史では「山口御屋形」と呼ばれることも多いです。「屋形」という平和的な名称とは裏腹に、その実態は、大砲による砲撃戦を想定した西洋式城郭であったと考えられています。城跡の範囲は、現在の山口県庁とほぼ同じです。
山口御屋形差図
山口御屋形差図(幕末)データ提供:山口県文書館
城跡の範囲
山口城跡の範囲
山口移鎮年表
山口城跡関連年表

3.発掘調査の成果【埋没土塁の発見】

 「土塁」とは、堤防のような盛り土による防壁です。調査地は、幕末の絵図(山口御屋形差図)には土塁が描かれていますが、現状は県庁内の遊歩道。土塁は全く見当たりません。
 発掘調査により、地下1.1mで土を積み上げた土木工事の痕跡が見つかり、絵図にある土塁の一部が埋没していることがわかりました。確認できた土塁の残存部は、高さ30~85cmですが、調査で掘削していない箇所を含めれば、高さ約5mに及ぶことが想定されています。
絵図に描かれた土塁
絵図に描かれた土塁(山口御屋形差図、部分)
調査地1
調査地
発掘調査地
図面
発掘調査地の図面

4.発掘調査の成果【幕末の土木技術の解明】

 土塁の土層を見ると、土のうサイズの土の塊や突き固めたような箇所がありました。このことから、おおよそ次の(1)~(5)の手順で土塁が作られたことを推定できます。
(1) 基盤造成(地ならし)
(2) 土のう状の土塊(土を詰めた俵か)を積み上げ、区画を作る
(3) 土を流し込む
(4) 一定の高さに盛り土が達したら転圧する
(5) (2)~(4)の工程を繰り返す
土層
土層図
調査地の土層
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