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令和2年 (2020年) 5月 26日
相島(あいしま)
面積 | 2.48㎢ | 学校 | 相島小中学校 |
人口 | 139人 | 病院・診療所 | - |
世帯数 | 66世帯 |
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本土からの距離 | 14.6km | 問い合わせ先 | 萩市地域づくり推進課 0838-25-3356 |
※人口、世帯数は令和2年4月1日現在住民基本台帳による。
本土萩市の北西約14kmの日本海海上に位置し、北長門海岸国定公園の区域に指定されています。
島内には平家伝説が多く残されていることから、平安時代末期には人が住み始めていたものと思われます。幕末には黒船来航を見張るため相島遠見役が置かれ、毛利藩の海上防備のための御藩所や大砲台場なども設けられていました。
かっては除虫菊の栽培が盛んでしたが、現在では、スイカの産地として有名で、県内の生産量の過半を占めるに至っています。島内の日当たりのよい段々畑でとれたスイカはとても甘く、「萩スイカ」のブランドで県外へも出荷されています。また、近年では島内で収穫したさつまいもを原料として作られている芋焼酎「あいしま」も好評です。
島の海岸には奇岩が多く、島の中央部の大山や相島港と合わせて相島八景として親しまれています。
大日如来伝承 | 大日如来様が、見島に流れ着いた時は拾われず、相島に流れ着いた時に住民が拾って祭ってくれたことから、そのお礼に、相島を水に不自由しない島にしてくれたという言い伝えがあります。逆に観音様は、相島では拾われずに見島で拾われたため、見島はお米に不自由しない島にしてくれたと伝えられています。 この伝承に関連して、寿永元年(1182年)に大日如来などの多くの仏像が島の西岸に流れ着き、これを祭るためにお堂を建立して安置したことが伝えられています。このお堂が、今島内にある大日如来堂だといわれています。(ただし1912年に再建) |
民話 | 島内には、「親捨て山」、「鬼と菖蒲」、「死んだ婆さんと旅人」、「蛇の話」、「腰折れすずめ」など多くの民話が残されています。 |
民謡 | 盆踊りの唄として唄われていたものをアレンジした「相島ヤレサー音頭」のほか、結婚式などのめでたい席で唄う「祝歌」や「童歌」、「亥の子歌」などが残されています。 |
本土との間には1日3往復の定期船が運航されています。
◎本土側定期船乗り場 萩港 (萩市浜崎)
定期船「つばき2」
トン数:113.0トン
航海速力:12.5ノット
定員:150人
所要時間:40分
○詳細は、下記海運会社へおたずねください。
問合せ先 萩海運有限会社(萩市東浜崎町) (0838-25-2040)
相島の周囲にある奇岩「ライオン岩」、「通ヶ鼻」、「男柱」、「女柱」、「鵜の松原」と海岸線の景勝地の「入海海岸」、「相島漁港」と陸の景勝地の「大山」を合わせて相島八景と呼んでいます。
時計台に巻貝のレリーフがあしらってあるモダンな建物です。
島内にはほとんど平坦地がないにもかかわらず、島の面積の約40%が農地として利用されています。
起伏に富んだ地形のため、農地のほとんどは段々畑となっています。丘陵地の斜面に石垣を築き作られた畑の見事さは、芸術品のようです。平成23年度に「萩景観賞」を受賞しています。
相島のスイカの生産高は、県内産の過半を占めます。5月下旬から6月上旬の島内のスイカの初出荷の際に、島内のスイカ選果場で出荷式が行われます。また、地元では、毎年、4月上旬にスイカのオーナーを募集し、7月中旬に収穫祭を実施しています。
相島では、昔から良質の甘い、ほくほくとしたサツマイモが栽培されており、毎年秋には「いも掘りフェスタ」が開催されています。
◎島内には、雑貨屋はありますが、食堂はありません。上記イベントで相島の特産品を購入することができます。