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令和2年 (2020年) 5月 26日
六連島(むつれじま)
面積 | 0.69㎢ | 学校 | - |
人口 | 87人 | 病院・診療所 | - |
世帯数 | 42世帯 |
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本土からの距離 | 6.0km | 問い合わせ先 | 下関市企画課 083-231-1911 |
※人口、世帯数は令和2年4月1日現在住民基本台帳による。
下関市彦島の北西約5kmの響灘に浮かぶ溶岩台地の島です。
日本書紀の仲哀紀に「没利島」として登場し、能因歌枕には「牟都留能志麻」と表記されている歴史のある島です。
島内には、日本最古級の洋式灯台や雲母玄武岩などの名所旧跡が多く残されています。
島の肥沃な台地では、温暖な気候を生かし、キク、カーネーション、ガーベラなどの花卉のハウス栽培が盛んで、「花の島」として知られていますが、瓶詰めウニの発祥の地でもあり、ウニをはじめとするサザエやアワビ、海藻類の採取も盛んに行われており、島内には釣りの好スポットも多くあります。
島の名の由来 | 次の3説があります。 ◆周囲に馬島、金崎島、片島、和合良島など大小六つの島が連なっているため ◆6人の入植者がこの島に渡ってきた後、土地を分けるために縄で島を6等分したため ◆韓国語の「モッアール(集落)」が変化したもの |
本土との間には1日4往復(夏季5往復)で定期船が運航されています。
◎本土側定期船乗り場 下関市竹崎桟橋(下関漁港北側・JR下関駅西口から徒歩5分)
定期船「六連丸」
トン数:19トン
航海速力:11.5ノット
旅客定員:80人
詳細は、下記へお問い合わせください。
問合せ先 下関市港湾局渡船事務所 (083-261-1010)
日米和親条約に基づく兵庫開港に備えて1867年の大阪条約に基づき建設されたもので、日本で最古の洋式灯台の一つに数えられ、外観はほぼ当時のままの姿に保たれています。
英国人による設計で、最初の灯台守も、英国人が着任しています。
建設工事の期間中に明治天皇の御訪問が決まり、行幸の日までに突貫工事で完成させたという逸話が残っています。
お軽(於軽)は、1801年六連島の生まれで、夫にそむかれ悲嘆にくれる境遇の中で深く仏に帰依するようになり、後に真宗の「三同行」の1人と呼ばれるようになった人です。
碑は西教寺の境内に設けられ、お軽の事跡を伝えています。なお、お軽は、死後、西教寺近くの墓地に夫とともに葬られており、今もその墓は残されています。
明治天皇が、明治5年に、九州への行幸の途中で、当時最も近代的な洋式灯台の一つであった六連島灯台を御高覧されたことを記念して設けられたものです。
碑の題字は、田中義一が揮毫したものです。
「雲母玄武岩」とは、火山活動により噴出した高熱の玄武岩が海水で急激に冷却されることにより、岩石中に無数の小さい穴ができ、その中に数ミリの黒雲母と角閃石の結晶が生じたものです。
世界でも3、4か所、国内ではこの島だけといわれ、国の天然記念物に指定されています。
碑がある場所は、島の中央の小高い丘の上で、ここからは響灘を一望の下に見渡すことができます。
島の南西部(字音次郎)にある縄文、弥生、古墳時代にまたがる遺跡です。昭和30年に発見されました。
発掘された遺物には、土器類や石器、骨格器などがあります。
土器のうち製塩用の丸底円筒形のものは、最初に発掘されたこの島の名にちなんで、「六連式土器」と名付けられています。
■例大祭
10月4日、5日の2日間、六連八幡宮において行われます。
初日には、各戸を回る「戸別祓い」の後、「よべの祭り」といわれる前夜祭があります。前夜祭では、神殿のそばで湯立てをし、湯を神前に供える「献湯の儀」が行われます。この後、参拝奉仕の人々は、持参した笹の葉を湯に浸してその露を飲みます。
2日目には、本殿祭と神幸祭が行われ、農漁業の繁栄と氏子の無病息災が祈願されます。