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水の作文コンクール・命の水

ページ番号:0011574 更新日:2021年11月1日更新

山口県優秀賞

命の水

岩国市立美和中学校 2年 住田 瑞樹(すみだ みずき)

 「水」と聞いて、僕の頭に浮かぶのは、コンビニやスーパーなどのお店に売ってある水です。僕の家の飲み水は、すべてスーパーで買ってきています。
 でも昔は、井戸水や池の水を水がめに貯めて使っていました。水くみも子ども達の仕事だったそうです。この話は、祖父母から聞きました。今は蛇口をひねればすぐに水が出る、ほしいと思ったときにおいしい水が飲める、便利な時代だと思います。
 祖父が作っている地域の田んぼでは、川からため池に水を揚げて、田んぼに水を配っています。約九十年前に曾祖父や地域の人達が協力して、川からポンプを使って、ため池に水をくみ上げるようにしたそうです。今なら簡単なことですが、昔は重機がなかったため、三年から四年ほどかかったそうです。現在は、これらのおかげで便利になっています。水路を張り巡らせてあるので、ポンプ小屋のスイッチを押すだけで、直接田んぼに水を入れたり、ため池に入れてあちこちの田んぼに送ったりしています。便利になったけれど、維持管理もとても大変です。どの田んぼにも平等に水がいきわたるように考えて配水しなければならないからです。
 この地域で米作りに必要な水は、ため池の水です。それは昔の人が「そこに水がたまりやすいからみんなで作ったため池だ。」と祖父から教えてもらいました。山から流れてくる水、雨水、そしてどこからともなく流れてくる水。昔から本当に水を大切に使ってきたということを考えさせられる話でした。
 昔の人の苦労を忘れて、水の無駄遣いをしてしまう。水のありがたさを忘れてしまう。それは、現代に生きる私たちの悪い習慣の一つだと思います。水にも限りがあり、水不足になれば植物も動物も困ります。僕たちの食材となる穀物、野菜、果物なども水がないと育ちません。また、食肉になる牛や鶏、豚などの家畜も水がないと生きていけません。つまり、人間の命につながるものすべてが水を必要としているということです。だから、水を大切にし、感謝しながら使わなければならないのだと思いました。
 以前、大島大橋に船が激突して橋の下の水道管が破れたときは、島民の生活すべてが狂ってしまいました。知り合いの方から、しばらくの間、車中泊をする日が続いたと聞きました。ニュースで現状を知り、水を届けたいと思いましたが、橋が渡れないので水を届けることもできませんでした。風呂にも入れず、お米を炊くこともできず、飲み水にも困る。トイレで流すこともできません。洗濯ももちろんできません。僕は、水道管の破れが暮らしにそこまで影響を与えるとは思ってもいませんでした。しかし、生きていく上で水がかけがえのないものであることを改めて感じました。
 反対に、大雨が降り、水が多すぎると自然災害につながります。ここ数年、毎年のように起こる豪雨災害ですべてのものが失われたと聞いたときは、水を「怖い」と思いました。でもその後の片づけをするときには水で洗い流さなければなりません。だから、水は怖いけれども、共存していかなければならないものでもあると思います。
 少し前に、節水は節電にもつながることを知りました。トイレの大小を使い分けるだけで、一回で最大二リットル節水でき、一か月で一二〇リットル節水できます。そうすると、〇・七キロワット節電することができるそうです。これはテレビを一時間見たときと同じです。ほんの少しの心がけで、節水と節電二つの省エネができると知り、これから自分にできる節水を実践しようと思いました。「地球上のすべての命のもと」である偉大な水を、大切に使っていきたいと思います。