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水の作文コンクール・コロナ禍で水について考える
山口県優秀賞
コロナ禍で水について考える
周南市立福川中学校 3年 福田 達也(ふくだ たつや)
「今月は水道代が増えたなぁ。」と、母が水道代の請求書を見て、驚いた顔をしていました。私も見せてもらいましたが、確かに前回の請求額より金額があがっていました。夏になるとこまめに庭の水やりをしたり、私たちが部活などで汗をかくとシャワーをあびたり、着替えたりするので洗濯の回数が増えます。だから夏は一年のうち、水道代が一番増えるそうです。しかし、なぜこんな時期に増えたのだろうと母は首をかしげていました。そのとき私は「コロナの影響だ」と思いつき、母と少し考えてみると、いつもより水を使った原因がいくつか思いつきました。新型コロナウイルスが流行しだしてから今まで以上に手洗いとうがいの回数が増え、夏ではないけれど、洗濯の回数も増えました。さらに学校が二ヶ月以上休校になり、また外出自粛をするようになったため、家族みんなが家のトイレを使用する回数が増えたからです。私は今まで家の水道代がいくらかかっているのかなど気にして水を使っていなかったので、今回初めて水道代の請求書を見せてもらって、「水ってタダじゃないんだよなぁ。」と改めて感じました。
私は今まで災害などで水道が使えないという不便な生活を経験したことがありません。だから、水を無駄遣いしてはいけないというのは頭の片隅にはありますが、水に対して特に意識をせず使っているというのが現状かもしれません。ある外国人の作家が「日本人は水と安全はタダだと思っている」と書いていると聞いたことがあるのですが、私はその言葉にあてはまる日本人の一人だったのかもしれません。小さいときから、蛇口をひねれば何のためらいもなく飲むことができるきれいな水を手に入れることができました。新型コロナウイルスが流行して「手洗い、うがい」と言われれば深く考えなくても衛生的な水でそれを実行することができます。しかし世界的に見たら、それは全く「当たり前」ではないのです。
最近あるテレビのコマーシャルを見てショックを受けました。
「妹の命を奪った水。生きるためには、飲むしかなかった。」
その言葉と共に、アフリカの少女がひどくにごった水を飲もうとしている映像。死んでしまうかもしれないのに、それでもそれを生きるために飲まざるを得ない現実があることに私は胸が苦しくなりました。このような現実の国々では、新型コロナウイルスが流行して、「手洗い、うがいをしましょう」と言っても実行することができません。水に関する高い技術をもつ日本は、このような国々に対して今まで以上に支援をしていくべきだと思います。どんな病気の予防でも手洗い、うがいが基本だと思うので、それをするためには、きれいな水が必要なのです。
私は、長い休校中にたくさんの時間がありました。その時間を使って、まだ水道の技術が発達していない国々や地域に、私のような中学生でもできることはないかと母や兄と相談しながら調べてみました。するとユニセフのサイトに、三百九十二円の募金で、一錠で四から五リットルの水を浄化できる浄水剤千個が買えると書いてありました。立派な水道設備を作れるようなお金を募金することはできませんが、私が大好きなマンガ本を買うのとほぼ同じ値段で、少しでもきれいな水を世界に届けることができるのなら、マンガ本を買うのを我慢して、少しでも力になれたらいいなと思いました。
今でも水がないために苦しんでいる人達がいます。だから私たちは恵まれた環境があることに感謝し、水を大切に使うことを心がけたいと思います。そして、私ができることから初めていきたいと思います。